代表ブログ

学ぶ力をうばう教育

2017年4月30日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回まで「国語のできる子どもを育てる」という本について書いてきましたが、今回ご紹介する「学ぶ力をうばう教育」は、その中で著者が、理想とすべき教育の形を明確に指示している良著として推薦されていたものです。

実際に読んでみて、すぐに良著であることが分かる非常に示唆に富んだ本でした。

本書の主題は、現時点での学校教育が「自ら学ぶ」教育から程遠いものであるという指摘をしつつ、著者自ら教育者として、「自ら学ぶ」教育の実践者たる教員を育成すべく努力されている中での知見を多くの具体例とともに披露してくれています。

その中でまず、印象的だったのが、現時点での学校教育が「自ら学ぶ」教育から程遠いものであるという事実とともに、では「自ら学ぶ」教育をするために、教師にはどのようなことが求められるべきなのかということが次のように非常に明確にされていたことです。

「教師の仕事は子供たち自らが深く学ぶことができるように援助することである。そのようなことを教師が子供たちに保証していくためには、まず何よりも教師自身が質の高い内容を深く学び取っていく学習を豊富に体験していなければならない。(中略)ものごとがよく分かっていくためには、多くのわからないことに直面し、その分からないことを一つ一つ解決していかなければならないという意味で、子供たちに、分かることだけではなく、分からないことは何かを明確に自覚させ、その解決のためにどうしたらいいかを考えさせていくことも、教師の重要な役割である。(一部加筆修正)」

もはや反論のしようがない、根本的で絶対的に正しい真実だと思います。

ではなぜ、それが真実であるということが分かっていながら、現実にはそのような教育が実現されていないのでしょうか。

その答えは、その教師の役割を果たすことがいかなることなのかを具体的に書かれた部分を抜粋することで明らかになります。

「『自ら学ぶ』とは、一定の物事について知ったことを改めて自分の既に持っている知識に繋いで、自分の中での意味理解を作っていくことである。そのために不可欠なことは、自分自身に問いかけ、自分自身で答えていく自問自答の追求である。問いのないところに追求はあり得ないし、自分の理解の形成もあり得ない。しかも、その立てる問いの質が、追求の質、理解の質を大きく左右する。その意味で、教師には子供たちにどのような問いを立てさせ、自問自答することにつなげられるのかが問われる。(一部加筆修正)」

残念ながら今の学校教育の現場で「自ら学ぶ」力を鍛える教育を期待しても難しいことは自明です。

なぜならば、もちろん、今の教師にそのような経験がないということも一つですが、経験がないのであれば、これから作っていくという姿勢を持てるかどうかということになるからです。

そのためには、教師も生徒と一緒に自分自身に問いかけ、自分自身で答えていく自問自答の追求をしなければなりません。

それには、今までの一方的に答えを生徒に対して与えるという姿勢に比べ、圧倒的に不安定で悩ましい時間を生徒と一緒に潜り抜ける必要が出てくることになります。

つまりは、教師である以上、自らも知的「不安定さ」の中に身を置く覚悟ができるかどうかが問われるのです。

実際には、それを歓迎する人はそこまで多くはないのかもしれません。

ですが、これは、自らも知的「不安定さ」の中に身を置くことを、大変なことだと思うか、刺激的なことだと思うかの違いにすぎません。

そして、この社会が本当に「自ら学ぶ」教育を求めていくのであれば、教師の資質として、これを後者として感じられることに求める社会的認識を作っていく必要があるのだと思います。

これから、教師を目指す人は少なくとも、自らを知的「不安定さ」の中に身を置くことを刺激的なことだと思えるタイプの人間であってほしいと心から願います。

 

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆