学問のすすめ
2016年4月6日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
福澤諭吉シリーズはこれでラストにしますが、本日ご紹介しますのは、代表作中の代表作「学問のすすめ」です。
前回の「文明論之概略」を岩波文庫の原文版で読んで苦労しましたので、今回は齋藤教授による現代語訳版を選択しました。(笑)
まず、読後の感想を書くにあたり、あまりにも有名な本書の冒頭部分を抜き出してみます。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言へり」
多くの人はこれを福沢諭吉の言葉として理解していると思うのですが(私も実際に読むまではそう思ってました。)、最後に「と言へり」と言われているように、これは福沢諭吉が引用しているに過ぎないものです。何から引用しているのかは、本書には書かれていませんが、慶應義塾大学のHPに次のようなことが載っていました。
「(この言葉は)トーマス・ジェファーソンによって起草されたといわれるアメリカの独立宣言の一節を意訳したという説である。原文にはこう記されている。
We hold these truths to be self-evident, that on all men are created equal on, that they are endowed by Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty, and the pursuit of Happiness.
(われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命・自由、および幸福の追求が含まれることを信ずる」
この文章が指摘する様に、確かに人間は生まれついたときには「すべての人は平等に造られ」ているかもしれませんが、成長すれば、貴賤・貧富の差が明らかに生じてしまいます。本書には、この差が何によって生じるのかということが書かれています。
それが学問、もっと厳密に言えば、実用の役に立つ学問である「実学」を身に付けるかどうかということです。
明治維新によって封建制の時代が終わり、自由な時代になったからこそ、このように人間一人一人が平等なところからスタートすることができ、その後の差は「実学」を身に付けるかどうかにかかっていると公に対して文章で語ることができるようになったわけですが、本書ではそのことの前提を説明することに多くの紙面を費やしています。
その前提とは、「自由の本質」の理解です。
それは、自由(権利)と義務は一体のものだということです。本書は、このことを様々な側面から例をあげながら解説をしています。非常に分かりやすい自由の説明をご紹介します。
「自由とわがままの境目というのは、他人の害となることをするかしないかにある。」
そして、そのことを理解することによって、「独立」の本質も理解することができるようになると言います。
それは、個人としての「独立」、そしてその個人が集まった国としての「独立」です。個人一人一人が「実学」を身に付ける「自由」を享受し、身に付けたのであれば、それを活用し、政府を頼るのではなく、自分の力で事業を行うことで公への義務を果たす。そして、その個人が集まった国というレベルでも全体として実行されることが、国家としての独立を可能にするという考えです。
日本は現在でも、西洋の国々と違って、「自由」や「独立」は自ら勝ち取ったのではなく、太平洋戦争の敗北を経て、GHQに与えられたものであるから、その本質が分からず、「自由」そして「独立」を前提とした民主主義という国の仕組みを運営するのが下手なのだと言われます。
本書を読むことで明治の初期の段階で、このような本質的な理解を体系的に促すような書籍が出版されていたということに驚き、100年を超える時間がたった現代を生きる人間としてとても恥ずかしく感じてしまいました。