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私が小説を敬遠する理由が分かりました

2020年11月29日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

私はこのブログで今まで何度も自分自身の「小説嫌い」を公言してきました。

ただ、本自体は大好きなので「小説嫌い」の性質を直そうと何度かチャレンジをしてきましたが、その度に失敗してきました。

困るのは、なぜ本という媒体自体は好きなのに「小説」というジャンルを好きになれないのかという理由が自分でもよく分からないことでした。

今までのチャレンジはその理由を知ることが目的だったと言っても過言ではないのですが、今までそこにたどり着くことはできませんでした。

そんな筋金入りの「小説嫌い」の私でも、この人の小説なら「読める」と思ってリスペクトして来た作家に、「夢をかなえるゾウ」シリーズの水野敬也氏がいます。

このシリーズを読んでからずっと彼のブログをフォロー(ただ、残念なことに彼は年に数回程度しか更新してくれません、、、)をしているのですが、その記事に彼自身の「詩嫌い」の理由として書かれた内容に私の「小説嫌い」な理由がドンピシャで重なり合っていることを発見してしまったのです。

以下にその解説部分を引用します。

「僕が詩(と表現すると広すぎるので、ここでは谷川俊太郎に限定しましょう)と、村上春樹の作品に感銘を受けない理由は、読み終わったあと、必ずと言っていいほど、で?となってしまうんですよね。で?結局あんたは何が言いたいの?で?俺はどうしたらいいの?で?……だから、僕は谷川俊太郎と村上春樹の、それぞれ全著作の3割くらいは読んでいると思うのですが、今、この瞬間、何も思い出せません。内容がほぼ思い出せないのです。それくらい、僕の人生には何の影響も与えていないし、はっきり言って『必要ない』。僕が求めているのは、この息苦しい現実を変えるための、具体的な『答え』であり『行動の指針』だからです。」

つまり、その理由とは、「詩(多くの小説が含まれる)の定義は世界を間接的に表現するものだから」といいうもの。

拍子抜けするほど当たり前のことのようですが、私も著者も「直接言ってほしい」という性質(趣味)を持っている、一方で詩(多くの小説が含まれる)はそもそも「世界を間接的に表現するもの」であるから、好きになれないのはただ単にベクトルが違うからというわけです。

水野氏の小説は「詩(多くの小説が含まれる)的」ではなく、非常に「直接的」な表現で、伝えたい内容を「物語」にしているので、私は例外的にリスペクトすることができたのだということも、はっきり理解できました。

私が本好きなのは、「物語好き」だからで、しかもその物語は「直接的」に書かれたものが好きなだけだったのです。

ですから、いまさらその「趣味」のベクトルを変える努力をしてもしょうがないと理解することができました。

このことを「直接的に」表現してくれた水野氏へのリスペクトはまた一段と高まったのは言うまでもありません。

 

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