代表ブログ

持たざる経営の虚実

2020年5月17日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

物事は多面的そして時間的に考えないと本質はつかめないのだということを強く印象付けられる本を読みました。

流通業界の証券アナリストとして活躍された後、産業再生機構でカネボウやダイエーの再生に関わるという分析と現場の両方での経験を持つ松岡真宏氏の「持たざる経営の虚実」です。

「選択と集中」「持たざる経営」「本業回帰」、これらの言葉は、バブル崩壊以降、日本においては誰もがそれらを否定できないほどに、企業経営において絶対的に「正しい」方法論だと考えられてきました。

しかし、著者はこの「方法論」に対して大いなる疑問をぶつけています。

日本における「選択と集中」という言葉が、絶対的に「正しい」方法論だと考えられるきっかけとして、アメリカのGEの元CEOであるジャックウェルチ氏の存在をあげています。

彼は、GEの立て直しに際して、「世界で1位か2位になれない事業からは撤退する」という考えに基づいて大々的なリストラクチャリングを行い、見事結果を出すことで「20世紀最高の経営者」と評されるようになりました。

日本においては、バブル崩壊後の長い不調の期間において、多くの経営者が日本式経営手法に自信を無くし、ジェックウェルチの経営に代表されるアメリカ式経営を崇拝するようになりました。

その代表的なものが、この「選択と集中」であったということです。

ただ、著者はここでウェルチの意図する「選択と集中」を日本人経営者の多くが誤解してしまったことから、大きな落とし穴に入り、構造的な欠陥を抱えることになってしまったと言います。

以下、その部分について引用します。

「実際のウェルチは『多角化をせずに、本業や祖業に集中してそれ以外を処分しろ』という意味では『選択と集中』という言葉を使っていない。実際、彼は多くの多角化投資を行った。既存事業と必ずしも直接のシナジーがない投資も積極的に敢行していた。」

つまり、その時点で「世界で1位か2位」でなくとも今後なれる可能性がある事業は残すし、またそのような事業を目指してゼロから作り上げたり、買収をしたりすることは当然にしていたということです。

それを多くの日本人は、内向きの「選択と集中」の意味のみにとらえてしまったのです。

それによって、日本企業は、株価に直結する直近の利益を獲得してくれる現時点で「好調」な事業のみに特化してしまい、将来への種まきをやめてしまいました。

このことをもって著者は日本企業の将来性に大きな疑問が生じていると言います。

私は本書の中から、この問題を考えるにあたって冒頭で説明した分析と現場の両方での経験を持つ著者ならではの言葉として以下のような非常に重い言葉を見つけました。

「投資家は注目した企業の分析を行いその企業の株価が低位にあると判断すればその株式を購入し、その逆であれば売却する。つまり彼らから見る『企業』という存在には時間軸や空間はない。つまり当事者意識は不要ということだ。それに対して、経営者の感覚は全く異なる。企業の現状が芳しくないと判断した時には、不採算部門や不要資産の売却などを考えることになるが、その際には従業員や取引先、地域など、様々な人との論点が噴出し、いやというほど時空や質量を感じる。実態が重くのしかかってくるのだ。つまり、経営者から見た企業とは、物理的な時空そのものとなっており、圧倒的な当事者意識が必要となる。」

もしかしたら、ウェルチの「選択と集中」の意味を誤解してしまったバブル崩壊後の多くの日本の企業経営者は、経営者としての感覚よりも投資家としての感覚が上回ってしまったのかもしれません。

 

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆