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敬語っていったい何なんだ

2017年4月9日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日、何かの本である敬語を含んだ文章が間違いだと指摘をされていたのを、私はかなりの自信をもって「間違いではない」と思い、その真偽を確かめるために様々な人に聞いてまわりましたが、なかなか確証を得られませんでした。

最終的に、このブログにも登場したこともある高校の後輩である国文学者に訪ねてみましたら、やはりその文章は間違いだと理路整然と説明されて非常に恥ずかしい思いをしました。

私は、いやしくも言葉を仕事にしているので、敬語も含め、言葉を正確に使うことに対して世間一般以上に敏感でありたいと思っています。

そんな中で、かなりの自信をもってそれは間違いではないと判断したものが、間違っていたわけですから、かなり大きなショックを受けるとともに、敬語というものの深みを再認識して、少し深めてみたいと思い立ちました。

その時に彼が紹介してくれたのが「ちゃんと話すための敬語の本」という本でした。

この本の面白いところは、この本の目的が「正しい敬語の使い方を教えること」ではなく、「いったい敬語ってなんなんだ」を考え、「やっぱりないと困る。だから、皆さんでそれぞれ、正しい敬語の使い方を考えてください」というスタンスをとっているところです。

本書によれば、そもそも「敬語」とは、「身分の差」が存在した明治より前の古い時代の言葉であり、人間は平等であるとされた今の時代に即して作られたものではないと言います。

つまり、古い時代には「身分制」があり、国家が人間の「エラさ」をきちんと決めてくれていたわけで、その都度、敬語を使うべきか使わざるべきかという問題で悩む必要がなかったのに対し、現代では、国家が定めるのではなく、相手が自分にとって「敬語」を使うべき対象なのかそうでないのかをいちいち判断しなければならなくなったという意味で、「敬語」という存在がめんどくさい存在となってしまったということです。

そして、相手が自分にとって「敬語」を使うべき対象なのかそうでないのかの判断の基準が、「自分とその人との距離」です。

話相手がみんな「よく知っている友達」であったら、いわゆるタメ口を使うでしょう。また、自分よりも下だと自分が認識している相手であれば、あえて命令口調などにすることもあるでしょう。

おそらく、子供の社会ではほとんどこの二つで足ります。

しかし、大人の社会では、多くのケースで「自分とその人との距離」の絶妙な把握が重要となってきます。

その時、「相手は全然知らない人で、相手と自分の間には距離がある」というものだった場合、その「距離感」をはっきりさせるために「敬語」を使い分けるのです。

具体的には、その「距離感」が「ちょっと距離があるな」という程度であれば、「丁寧の敬語」を使い、「ちょっとどころではなくすごく距離があるな」となれば、「尊敬の敬語」や「謙譲の敬語」を使うというのが、現代の敬語の使い方です。

世の中にはいろいろな人がいて、その人たちと自分との間には、「いろんな距離」があります。

その距離の把握の巧拙で自らの立場を危険にさらしもすれば、守ることにもなります。

そして、把握したその「距離」をうまく表現にのせることで自分の考えを伝えられるようにする言語技術が「敬語」だということを改めて私たちは認識する必要があります。

「やっぱりないと困る。だから、皆さんでそれぞれ、正しい敬語の使い方を考えてください」という本書のスタンスにはとても大きな意味があると思いました。

 

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