代表ブログ

新しい日本語 VS ちゃんとした日本語

2018年7月9日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2018年6月11日)、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀で紹介された「言葉ハンター」こと、フリーの辞書編纂者 飯間浩明さんについて書きたいと思います。

以前に映画「舟を編む」をこのブログ記事でご紹介しましたが、まさにその実在人物の活躍を追った番組でした。

テーマは、「舟を編む」の記事同様、新しく世の中で使われ始めた「新しい日本語」を「ダメなものはダメだと誤用として指摘し続けるべき」とする考えと、「言葉は時代を映す鏡」として積極的にそれらを認めるべきとする考えのどちらの「辞書の在り方」をとるべきかです。

飯間氏は、現在の日本においては絶滅危惧種ともいうべきフリーの辞書編纂者で、出版社での編纂会議や執筆、講演以外の多くの時間を街中での「新しい言葉ハンティング」に使っていらっしゃいました。

そして、その一つ一つの事例を探し吟味するという作業を繰り返すのです。ですから、彼の考える「辞書の在り方」は明らかに後者ということになります。

番組の中では事例として「的を射る」と「的を得る」という二つの用例が取り上げられていました。

私も、これについては、本来的な用法が前者で、後者はあくまでも「誤用」が広まったものであるという認識を持っていました。

しかし、彼はそれを自分自身の足を使ったフィールドワークによって、これは「冤罪」なのではないかという認識を持ちます。

そのことを実際の出版社での編纂会議や自身の講演などで主張し、辞書の説明の中でこの「誤用」説が実は誤りであることを明記するべきだと訴えるのですが、やはりそう簡単に受け入れられるものでもありません。

まさに、ぎりぎりの戦いを一つ一つの言葉について行う現場を垣間見た気がしました。

彼がこの姿勢を貫くのには彼の次のような信念が関係しているといいます。

「どの言葉にも生まれてきた理由がある」

そして、この戦いこそが、その言葉が生まれてきた理由を明確に世の中に示し、「新しい日本語」を「ちゃんとした日本語」へと成長させるために必要なものなのだと確信しました。

ただ、ネットの台頭による出版業界全体の不振、特に辞書の販売数量の減少はとどまるところを知りません。

それによって、この戦いの主戦場であるはずの辞書編纂自体が危機に瀕していることは、新しい言葉がちゃんとした言葉への成長の機会を奪うことになり、「ちゃんとしていない新しい言葉」の氾濫を招くことは容易に想像できます。

ですが、飯間氏の純粋にこの仕事が好きで好きでたまらないといった表情が、その心配を少しだけ和らげてくれるような気がしました。

 

 

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆