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日本にチップが普及しない理由

2021年7月14日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回の「ゆっくり、いそげ」の中で、長いこと自分の中でモヤモヤしていた疑問に対してズバリ回答してくれている部分がありましたのでご紹介します。

それは、「チップ」の存在についてです。

私がこの「チップ」の習慣を実体験したのはアメリカにおいてでした。

当然ですが、日本でもその体験をしたことがありませんでしたから、初めて経験したのは大学二年生のアメリカ留学のためボストンの空港に降り立った後、ホテルまでのタクシーの運転手さんに対する支払いの時でした。

正規に提示された価格を超えた金額を、まだ成人していない学生の身分の自分が「大人」に対して手渡すことに強烈な違和感を感じたことを覚えています。

その違和感が強すぎたせいか、その後何度もチップを支払う経験をしましたが、何度やっても「しっくり」来ることはありませんでした。

私の違和感の強さは特別かもしれませんが、戦後多くの分野でアメリカ化が進んだのに、この「チップ」は日本ではほとんど普及しません。

そもそも「チップ」とは、サービスに対して正規に提示された価格を超えた価値を消費者が感じた際に、それを支払うものです。

ですから、もちろん「義務」ではないのですが、払わなければあからさまに受けたサービスが価格に見合わなかったという「抗議」に近いものになってしまいます。

つまり、「チップ」は毎回毎回交換のタイミングで、サービスと金を「等価」に調整するものだと言えます。

このことを前提として本書では以下のように説明されています。

「日本でホテルや飲食店を利用する際にチップを支払う習慣がないのは、実はそうした調整を敢えてしないことで、交換を不等価にして次なる交換を呼び込み交換を継続させるという隠れた知恵なのではないかと思う。アメリカやヨーロッパなど、広大な国土の中で人々が時に移動しながら社会を作っていく環境の場合、『次、いつ会えるか分からない』状況があるからこそ、一回一回の交換でどちらかが負債を負うことなくきちんと清算していくことへのインセンティブはより強いだろう。そういう意味でチップを払う。それは『自分は負債を負っていないよ』という関係性の証明だ。」

いや~非常によく分かりました。

つまり、私が強烈に感じていた違和感とは、まだ二十歳にも満たない社会経験の浅い自分が「『大人』の仕事を評価してそれをお金で埋め合わせる」ことに対する「申し訳なさ」だったのかということが。

そして、そのことがよく分かるとともに、欧米よりもずっと「特定多数」の社会である日本の方が、「資本主義」と「贈与のローカル交換システム」がバランスをとりながら共存する社会を作りやすいのではないかと思いました。

健全な負債を負うことの「気持ちよさ」を大切にできる余裕を持ちたいと思います。