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日本語の起源

2019年7月26日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回に引き続き、日本語探訪の第二回です。

今回ご紹介するのは、日本語はどこから来たのかを考える「日本語の起源」についての書籍です。

前回同様、国語学の大家であった学習院大学名誉教授の大野晋教授のそのものズバリのタイトル「日本語の起源」です。

まず、「日本語の起源」の議論について、次の二つの説があることを明らかにしなければなりません。

一つ目は、日本語は長らく一貫して日本列島の中で独自に成立してきており、世界のどこにも仲間が存在しないとする「万世一系説」。

そして、二つ目は、世界のどこかで非常に古い時代に今では消滅してしまった言語がどこかのタイミングで何かしらの理由から二つに分離し、一つが日本で定着し、もう一つが今もどこかに存在しているとする「同系語存在説」です。

そして、明治以来言語学者の多くは後者の「同系語存在説」に立って、世界中で日本語の「同系語」を探し求めてきたというのが日本語の起源研究の歴史です。

この「同系語」を探し求めるための学問を「比較言語学」といい、具体的手法としてはそのような言語が存在することを「誰もが肯定せざるを得ないような確かな証拠を提示すること」だと言います。

今回、本書を読んで初めてこの学問の考え方に触れ、非常に興味深いと感じましたが、特に強く興味をそそられたのが、以下のような「確かな証拠」の認定方法についてです。

「(その認定方法とは)言語間における『対応』を見つけることとされているが、実はその対応とは必ずしも『一致』である必要はない。一致していなくてもそれらのずれが整然と揃っていて、一斉にズレていればそれが『対応』とみなされる。」

著者は、本書において、日本語と「タミル語」という南インドのタミル人が話すドラヴィダ系言語との間に、この「同系語」とすべき「確かな証拠」が存在するということを主張しているのです。

本書を読んで、その研究結果を見ると私個人としては、それを100%とは言わないまでも少なくとも「確からしい証拠」と思えるほどの「対応」が見られると思いました。

しかし、私が興味深いなと思ったのは、それではなぜ世の中に無数にある言語の中で、一見すると日本語と縁もゆかりもないようなタミル語なる言語をその対象に選ぶことになったのかという点でした。

そのいきさつを本書より以下に引用したいと思います。

「まずどうしてこんなタミル語などという言語に取りついたのかをお話ししておくことにしよう。明治時代から続いた日本語の同系語の探索のの対象はアイヌ語、朝鮮語、満州語、モンゴル語、トルコ語と拡大されていった。しかし、確かな手ごたえを得ることはできなかった。そこで研究者の中にはチベット語、ビルマ語群へと目標を転じた人々もあったのだが、それでも顕著な結果には到達できなかった。チベットの南隣はインドである。そのインド北部中部には、ヒンディー語以下の多くの言語が広まっている。これらはサンスクリット語系言語である。これは、インド・ヨーロッパ語族に属していてヨーロッパ語の仲間だから、まずそこによい結果が得られるはずはないということで、インド南部まで拡大するとそれとは別系統のドラヴィダ語族というものがあった。ところが、語族という広い概念で研究をすることは困難を極めるので、私はその中で最も辞書が充実していたタミル語という個別語に限定して研究をすることにした。(一部加筆修正)」

ノーベル化学賞の田中耕一氏の発見もそう言われますが、大きな発見は大きな偶然から始まるのかもしれません。

 

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