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正当にこわがること

2020年3月30日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

新型コロナウィルスの脅威が当初の想像以上となってきています。

先日(2020年3月27日)の読売新聞の「編集手帳」に、新型コロナウィルス問題に関連して、物理学者としても文学者としても輝かしい成果を残している寺田寅彦が以下の言葉とともに取り上げられていました。

「ものをこわがらなすぎたり、こわがりすぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはながなかむつかしい」

今ほど、この言葉の意味を深く噛みしめるべき時はないように思えます。

この言葉の主である寺田寅彦については、高校時代、彼と同じ「寅彦」という名前の数学の先生に彼のような人間になるようにとその名前が付けられたというエピソードとともに聞かされました。

もうその先生は亡くなられてしまいましたが、寺田寅彦のバックグラウンドとその業績に絡めて「文系」「理系」という学問のフィールドに関わらず、バランスの取れた思考によって成果を残すということの大切さをこんこんと訴えられていたこと、そしてご自身の名前がこの大人物にちなんで名づけられたことを大いに自慢されていたのを思い出します。

ただ、そのような記憶があっても、実際には彼の著作を読む機会はありませんでしたので、これを機会に「柿の種」という短文集を読んでみました。

本書に収められている多くの文章はどれも身の回りの現象にまるで少年のような純粋な「疑問」をぶつけ、それを自分自身の頭で何らかの論理を導こうとする姿勢がにじみ出ているようなものばかりです。

新型コロナウィルスに対して私たち人類がどう対応していくべきか、「正当にこわがる」ために必要な心構えは、まさに著者のような姿勢によってのみ導き出されるのではないかと思いました。

普段から誰もが目を向けないような身の回りの現象に対して、いちいち自分自身の頭で思考をめぐらすトレーニングを行う者のみが、いざ世の中を揺るがすような大きな社会問題が起きた時でも、その蓄積によって想像力をめぐらせることができ、その結果としてこのような大きな問題に対しても「正当にこわがる」ことができるのだと感じます。

ただし、本書に収められている著者の様々な文章はまさにその蓄積であり、著者のように自らの想像力でなくとも、その思考の蓄積の過程を後からでもなぞることだけでも、その境地に近づくことはできるかもしれません。

そのことを噛みしめながら、この苦境を乗り越えていきたい思います。

 

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