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「一本くらい持っとけ」の論理

2018年3月28日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

このブログの中でも時々記事をご紹介していますが、私は日経MJという商業新聞を毎刊チェックするようにしています。

最近気になっている連載コラムにフリーライターの武田砂鉄さんの「そもそもそれって」というコラムがあります。

私は武田さんのシュールな「そもそも論」を毎回楽しみにしているのですが、最近(第16回)の「一本くらい持っとけ」という回が私のツボにどはまりましたのでご紹介します。

この一本とは腕時計のことです。

著者は腕時計をしない主義らしいのですが、2年に一回くらい比較的偉い人から「ダメだよ、一本くらいイイの持っておかないと」と言われることに納得がいかないようなのです。

「イイ時計を1本持っていると何かイイことがあるのだろうか。している時計のレベルから、人のランクを推し量ろうとする動きが存在しているのだろうか。例えば掃除機だったら、値段の高いものの方が低いものよりもゴミをよく吸う。浄水器も高い方がきれいな水を出す。しかし、時計に関しては高い時計も安い時計も正確な時間を示すという果たす役割が一緒だ。」

そもそも論全開ですね。この手の正論にはなかなか反論できません。

ただ、敢えて反論しようとすれば、そうなると、高い服も安い服も体温を逃がさないという役割が一緒であれば、、という話になり、ファッション性すなわち見栄えについてお金をかけることをすべて否定してしまうことになるかもしれません。

そもそも、著者は「そもそも」論を言っているのでそれも想定の範囲ではあると思います。それでも、敢えて著者がそもそも論を言うのは、「ダメだよ、一本くらいイイの持っておかないと」と指摘する比較的偉い人に対する抵抗なのだと思います。

それは以下の主張で感じられます。

「高い時計の『高さ』が、『高くてすごい』ということをメインに支えられているという露骨さが恥ずかしい、との感覚がある。日頃、自分にフィットするものでいいよ、と言われるのに、時計は『イイものを』なのだ。」

「贅沢をしないことがかっこいい」という言い訳を手にすると、すごくリーズナブルに生きられる感覚を著者から教わった気がします。

 

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