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決して遅くない

2014年8月31日 CATEGORY - 代表ブログ

柴田トヨ

 

 

 

 

 

 

皆さん、こんにちは。

私は幼児教育に対して非常に懐疑的な立場をとっています。どうせ大きくなったら習うようなことを頭の柔らかい時期に大人の都合で先取りしてやってしまうことを何とも「もったいない」ことだと思っているからです。

例えば、英語なんて所詮は日本の学校英語教育をきっちり受けていれば、ランゲッジ・ヴィレッジのたった二週間の合宿だけでビジネスに使える位にはなるものを、繰り返しますが、頭の柔らかい「貴重な」時期を犠牲にしてやるのは本当にもったいないことなのです。

子供にはこの時期にしかできない、自ら遊びを考えたり、人と交わったり、すなわちクリエイティビティの発揮とコミュニケーション能力を実践で身に着けることに時間を使ってほしい。私などは、自分の子供が夏休みになったら宿題そっちのけで友達と毎日のように山にカブトムシをとりに行ってくれていたらと心の底から望みます。

しかし、多くの親御さんは、「頭の柔らかい時期」だからそこ、この時期に幼児教育を施したいと真剣に考えるのです。そして、その根底にある考え方は、「私はもっと勉強しておけばよかった。だから子供には自分と違って小さいときから勉強してほしい。」という「親心」です。

以前にはランゲッジ・ヴィレッジにおいてキッズ英会話(週に一度、外国人講師とただひたすら遊んだ後、夕食を共にして帰るだけ)をやっていました。ここでは、上記のように「私はもっと勉強しておけばよかった。だから子供には自分と違って小さいときから勉強してほしい。」と考える親御さんとの考えの相違に非常に悩みました。結局、多くの親御さんを説得しきれずにこの企画を続けられなくなってしまったという話は以前にもしたかと思います。

このような活動の中で思い至ったことがあります。それは、親御さんの「私はもっと勉強しておけばよかった。」が、なぜ「だから、私も今からでも頑張ろう。」とならないのかということです。子供に対して、「子供には自分と違って小さいときから勉強してほしい。」という「親心」は本当に親心なのだろうか、むしろ自分がやりたくないことを子供に押し付けることなどではないかと思ってしまうことがあります。

子供は自分の鏡です。自分がやりたくないことは子供だってやりたくないのです。このグローバル社会に立ち向かっていくべきなのは、子供ではなく、まずは大人です。「私はもっと勉強しておけばよかった。」と思ったら、「だから、私も今からでも頑張ろう。」と思ってやればいいだけです。

グローバル社会とは一生学習が必要な社会のことです。常にこの時点で社会に必要とされているスキルは何かを見定めて、自ら学習していく姿勢を身に着けることが必要なのであって、頭の柔らかい幼児期に無理やり「その時点で」重要なことに過ぎないことを子供に押し付けることは百害あって一利なしです。

このような社会にあって、もし親心を発揮して子供の能力の最大化を図らせてあげたいと思うのであれば、親が今、社会で必要とされているスキルを身に着けるために貪欲に学習する姿勢を子供たちに見せつけるべきだと思います。この姿勢を見せつけることが最高で唯一の有効な「幼児教育」だと思うからです。

実はこんなことを書こうかと思って、自分自身が恥ずかしくなるような映画に出くわしました。

くじけないで」という映画です。

この映画は、92歳で息子さんの勧めで詩を書きはじめ、それから6年後の98歳で書き溜めた詩集を自費出版し、100歳になっても東日本大震災の被災者を詩を通じて勇気づける活動をつづけた柴田トヨさんの生涯を描いたものです。その活動は2013年、101歳で老衰で亡くなるまで続きました。

最高の幼児教育は「大人が常に何かを学び続ける姿を見せること」だ、などと偉そうに指摘しようとした自分自身が本当に恥ずかしくなるような衝撃的な実例に出くわしてしまったことになります。

改めて、心に次の言葉を刻みたいと思います。

「決して遅くない」

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