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直観を磨くもの

2020年6月7日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回の記事では、「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」という本を紹介して、昨今の高度に複雑化した世の中の問題を解決するためには「論理」と「理性」では対処しきれず、「直感」と「感性」すなわち「美意識」というものを前者に追加して対処しなければならない段階にきているという話題について考えました。

非常に納得性の高いとてもよい本でしたが、その中で小林秀雄の「直観を磨くもの」という本が、何度か絶妙な引用文とともに紹介されていましたので読んでみることにしました。

本書は、日本の文芸評論の確立者としてその名を残す小林秀雄が文学者、科学者等各界の第一人者と行った対談録です。

著者の小林秀雄も天才、そしてそれぞれの対談者も天才なので、その対談内容は非常に難しいものでしたが、前回ご紹介した内容と対比すると非常に逆説的な内容であって印象的な対談がありましたので今回はそれをご紹介したいと思います。

それは、「実験的精神」というタイトルで、哲学者の三木清氏との対談の以下の部分です。

以下、要約しながら引用します。

「昨今本を読むことが学問であるというの風潮がある。それに対して、原始人的な驚きから直にモノを考えていく精神が近代科学の姿勢だ。現代科学的姿勢はここから離れてしまっているように思える。考えてみれば、『実験』というのはあらゆる変数の絡み合った現象を前提として結果が出るまで試行錯誤し続けるというものだ。その大変さから逃れ、ただ読書をすることが学問だという考えは偽物に過ぎない。」

前著の主題は、経営に「サイエンス」を持ち込みすぎて、既存の「知識」ではあまりに複雑になった状況に対処できなくなってしまったものを、「アート」の感覚によって解決することの重要性でした。

その意味で言えば、この指摘というのは一見すると、その「サイエンス」の姿勢が本来あるべきところからずれてしまっているということを指摘したものと考えられるような気がします。

つまりこれは、「サイエンス」が本来あるべき「実験的精神」を失った偽物に堕してしまっているという批判です。

この「実験的精神」は、少なくとも様々な「変数」が複雑に絡み合った自然界の事象について、泥臭く何度も何度も「実験」を繰り返し、その「複雑性」を乗り越えるという意味で、前回の本で指摘された「超論理」の世界と共通しているように思います。

科学的結論だとして本や新聞に書かれたことを盲目的に信じて「経営」を行うことが、「論理」や「理性」であるということならば、それはこの世の中の「複雑性」の前では限界があるわけで、「アート」と「実験的精神」にはどちらもその限界を超えるための姿勢という意味で共通点があるということに非常に納得しました。

しかも、驚くべきことにこの対談は1941年ですから太平洋戦争が始まった年に行われているということを考えると、彼らの天才ぶりが際立って感じられます。

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