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相席で黙っていられるか

2020年2月21日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回に引き続いて、日本人の立場から中国人の考え方を「言語」の側面から分析するいわゆる「日中言語行動比較論」に関する本をご紹介します。

日本語教育の専門家で中国人の奥さんを持つ麗澤大学の井上優教授の著書「相席で黙っていられるか」です。

前回の記事において、日本人は、中国人および中国語という存在に関して、身体的・文化的親近感からくる同質性ゆえに、言語においてもその同質性を必要以上に「期待」してしまうという話をしました。

そして、そのような期待があるから、欧米人とは違いがあってもそれほど驚かないが、中国人との違いについて大きく反応してしまうということでした。

しかし、そのような「期待」という話を別にしても、日本人が欧米人との違いよりもより大きく中国人との違いを認識するのが、中国人にとって「しゃべるのが礼儀」という性質です。

私たち日本人は、たまたま相席になった人とも基本的にはその食事の時間の間、全く話さなくても、その人との間でそこまで「気まずい状況」にはならずに過ごすことができます。

しかし、中国人は「相席で黙っていられない」のです。しかも、その性質は、欧米人よりももっと強いようです。

中国人にとって、それは非礼であり、「しゃべらない」ことが確実に「気まずい状況」を作ってしまうことになるのです。

つまり、これは「話す」ことと「場を共有する」ことを表裏一体としてとらえるのか、別々のものとしてとらえるのかという感覚の問題です。

そして、「しゃべる」こと自体が「礼儀」である以上、そのしゃべりの裏には、日本人のような「他意」というものが潜む余白も少ないということのようです。

日本人は、これらを別々のものとしてとらえるからこそ、その二つの間に「他意」が存在する余地を与えてしまっているのかもしれません。

本書では、日本人が中国人との会話において、その「他意」を汲み取ろうとしてしまうがゆえに違和感を覚えるケースを紹介していますので以下に引用します。

「中国人が会話の材料にすることの中には、日本人の感覚からすると『え?』と思うようなことが多い。例えば、『給料』『結婚』『子ども』である。私自身、『給料はいくら?』『結婚しているのか?』『子供はいるのか?』と聞かれることが多いが、中国においてはこれらは無難な話題である。誰にとっても問題になることだから、共通の話題として取り上げやすいそうだ。」

つまり、日本人にとっては「立ち入った」話であるのに対して、中国人にとってはそうではないということ、日本人は敢えて「他意」をこれらの話題に込めて話を複雑にしているということになります。

日本人が知らない人と「しゃべる」ことを避けるのは、知らない人のしゃべりから「他意」の有無を一瞬にして判断することが不可能であるため、初めからそのリスクを回避しようとする行動なのかもしれません。

「他意」がないという前提を共有できない状態で、中国人から「給料」「結婚」「子ども」についての話題を頻繁に振られるという事実だけをもって、彼らへの不快感を蓄積させてしまうのは、決して合理的な行動ではありません。

まずは単純な「違い」を知ること、すなわち多様性を認めることです。

次に、その多様性への耐性と理解を高めることです。

そのために必要なのは、彼我の「違い」の存在に対する「覚悟」だと改めて確信しました。

 

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