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砂上の楼閣

2011年3月20日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

現在進行形で福島の原発への対応を「FUKUSHIMA 50s」の皆さんが命を懸けて取り組んでくれています。

このような努力や犠牲を原発建設の時には想像をしません。

いや、想像しようとはしないのかもしれません。

この問題は、もはや東京電力や政府だけに責任を押し付けることは無理だし、意味のないことだと思います。

現在全体の発電量の30%を原子力に依存しているのです。

30%という数字を見ようとしてこなかったのは私たち一人ひとりなのですから。

その数字の大きさは、目下『計画停電』という形で目に見えるようになっています。

3月のこの時期でもウィークデーはかなり大々的に計画停電をしなければならないということは、8月の時期にはどうなるのかは想像に難くありません。

根本的な解決は8月までにはとることはできないと考えた方が無難でしょう。

去年の夏は、電気をフルに使うことができたのにもかかわらず100人以上の熱中症を出してしまったわけで、今年の夏はその半分以下の電力でやっていけるのでしょうか。

こうなると、日本人は自分たちの贅沢のために、砂上の楼閣を基礎がしっかりしているから大丈夫と根拠なく信じ込んできたのと同じではないでしょうか。

しかしながら、私のこの発想は、前提がおかしいのかもしれません。

もはや日本人は失われた30%をどう取り戻すかではなく、30%がないことを前提として経済をまわしていくにはどうするかを考えなければならないのではないでしょうか。

このとき、大学入試の小論文の問題を思い出します。

たしか、「消費に対するあなたの考えを書きなさい。」といったものだったと思います。

わたしは、「所有価値と使用価値」という論点を持ち出して論じた事を覚えています。

人間が消費をするとき、何を求めているのかということです。

実質的に考えれば「使用価値」、つまり、その商品やサービスから得られる直接的価値を求めてお金を払うのが第一義的ですが、人間はそう単純なものではなく、『所有』することによる「見栄」や『自尊心』を満たすことができる「所有価値」というものにも価値を見出して消費をしてしまう「効率」の悪い消費もありうるといったことです。

もしかしたら、この『所有価値』という非効率的なものを犠牲にしさえすれば、もしかしたら30%がないことを前提とした経済をまわせるのかもしれません。

そんなことを考えて、一冊の本をアマゾンで注文しました。『シェア 共有からビジネスを生み出す新戦略』という本です。

まだ前書きしか読んでいませんが、入試から10年以上たって本当の意味でこのことについて考えさせられるとは、非常に奇妙な感じがしています。

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