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組織は環境に適応しすぎて失敗する

2021年10月13日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回に引き続き、「失敗の本質」からテーマをいただいて書きたいと思いますが今回のテーマは「組織の環境適応について」です。

前回までの二回にわたって、日本の組織の基本が「官僚的組織」であり、その弱点の部分を顧みることなくそれを増大してしまったことで失敗が導き出されてしまったという事実を見ました。

今回は、ではなぜそのような弱点を備えた組織を日本は伝統的に基本とするようになってしまったのかについて考えたいと思います。

本書は、日本においては「官僚的組織」の良さを最大限に発揮することによる成功体験があまりにも大きかったことから、その成功体験に基づく一つの「物の見方(パラダイム)」に基づく環境に最適化しすぎたためだと言います。

例えば、日本陸軍の「物の見方」として白兵戦における最後の銃剣突撃が戦勝のカギであるとする「白兵銃剣主義」、そして日本海軍の「物の見方」として大艦隊決戦が戦勝のカギであるとする「大艦巨砲主義」がある時期から大東亜戦争敗戦まで金科玉条のように堅持され、それを体現する組織として「官僚的組織」が無批判に維持され続けました。

そのある時期とは、日清戦争と日露戦争という当時の日本にとって圧倒的な格上国家との対戦にそれらの「組織の形」と「物の見方」によって勝利したときであり、それが当時の日本にとってあまりに大きな成功体験であったことによります。

この日本軍が組織として歩んだ道を本書では「恐竜の絶滅」に喩えて以下のように解説しています。

「進化論では次のようなことが指摘されている。恐竜がなぜ絶滅したかの説明の一つに、彼らが中生代のマツ、スギ、ソテツなどの裸子植物を食べるために機能的にも形態的にも徹底的に適応したが、適応しすぎて特殊化し、ちょっとした気候、水陸の分布、食物の変化に再適応できなかった、というのがある。つまり、『適応は適応能力を締め出す』とするのである。」

このことは、日本軍の失敗についてのみならず、戦後の日本企業にも当てはまります。

戦後日本企業が工業社会という環境に徹底的に適応するために必要だった「終身雇用」「年功序列「護送船団方式」などの「物の見方」を、工業社会から情報社会への転換し始めから20年が過ぎようとする現時点でもまだ変えることができずに、先進国で唯一実質無成長に甘んじている現在の状況をそのまま説明してしまっています。

学べば学ぶほど、私たち日本人は環境適応をいい具合に止めることのできない不器用な人たちなんだと思います。

 

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