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言語の役割

2013年1月20日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

昨日、このブログの兄弟ブログであるJIPFLブログにて「にしゃんた氏講演会」を開催したことについて 記事 を書きました。

今回は、その中で書かなかった講演の中で出てきたグッとくる言葉を紹介します。

「言語の役割は一つにはコミュニケーションの道具、もう一つとして、記憶を脳に刻み込む道具」

というものです。

なんとなく、今まで理解していたことではあります。

しかし、にしゃんた氏は、それをしっかりと「言語化」して、またはっきりとした例示も上げて説明してくださいました。

にしゃんた氏が、来日したのは彼が17歳のとき。ボーイスカウトの一員として1987年に初来日。それがきっかけで、父親が家を担保にして作った7万円と片道切符だけで再来日したそうです。

もちろん、母国スリランカにおいて事前の日本語教育を受けられるような環境があるはずもなく、全く日本語が分からない状態で日本での生活が始まったそうです。

彼曰く、彼の人生は入国時からしばらくの期間については「空白」なのだそうです。

どこにいても、何をしていても自分の周りで飛び交う日本語という日本語が全く分からず、また、勉強するとっかかりもつかめないため、その期間の記憶が全くないのだそうです。

スリランカ人である彼にとっての日本語は、私たちにとっては、アルファベットも漢字もつかわれない「アラビア語」などに等しいのでしょうか。

そう考えてみると頷けるような気がします。

人間は、言語によってモノを考え、言語によって知識を整理し、整理したものを記憶する。

従って、全く考える術も持たず、もちろん整理・記憶する術もないわけですから、彼の言う「空白」は正しくその通りなのだと思います。

逆に言えば、言語を学ぶということは、人間の内なる空白を埋めることにつながるといえますでしょうか。

今まで私たちが考えもしなかったことに触れることになります。そして、その言語がはなされている土地で過ごすことは、まさにそれを加速することでしょう。

自分の頭の中の「空白」が埋まる感覚というのでしょうか。

いや、ちょっと違うかもしれません。それまでは自分ではその「空白」に気づいてはいないのですから。

もしかしたら、自分が「脱皮」をする感覚に近いかもしれません。

いずれにしても、言語を学ぶという活動をコミュニケーションの「道具」を増やす活動だと認識するだけだと、少々もったいないことだと思い知らされました。

私が今、まさに携わっているこの仕事が、いままでより、一層偉大なものに思えるようになりました。

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