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読書の方法

2017年10月20日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回、「死ぬほど読書」という読書の大切さを説く本を紹介したことで、「読書」そのものについて深く考えてみたいと思うようになりました。

そもそも論として「読書とは」というテーマで書かれている本を探してたどり着いたのが、言語学者の外山滋比古氏の「読書の方法」という本です。

読み始めてすぐに、目を見張るべきことに気が付かされました。

それは、「既知」を読むことと、「未知」を読むことの違いについて考えるということです。

著者は、前者を「アルファ読み」、後者を「ベータ読み」と名づけました。

当たり前の話ですが、「アルファ読み」は易しく、よく分かり面白いものです。一方で、これも当たり前ですが、「ベータ読み」は難しく、つまらないものです。

昨日野球の観戦して大興奮した人が、その試合結果に関する新聞記事を読むことと、文系の学生が物理の教科書の文章を読むこととを比べればそのことは明らかでしょう。

ですが、そもそも「読書」の大きな目的の一つである「知識を増やす」ことのためには、この「ベータ読み」から逃れるわけにはいきません。

そこで、分かることと分からないことの違いとは何かを考えます。

それには、赤ちゃんが言葉を覚えていく過程を考えれば良くわかります。

それは、経験世界の言葉の理解から始まって抽象世界の言葉へという順序を経て広がって、分からないものを減らしていくという流れです。

まずは、「おかあさん」という自分にとって一番身近な「現物」とのつながりのある言葉から順番に「既知」の知識を増やしていって、それら経験世界の言葉による補足を得ながら「民主主義」というような「現物」とのつながりのない抽象世界の言葉を増やしていくということです。

つまり、「おかあさん」という現物の存在と強い言語的なつながりがある言葉の理解は、前回の記事で出てきた「動物の血」から少しだけ成長した段階でもできるものである一方、「民主主義」というような現物が具体的に存在せず、言語的約束のみでつながった言葉の理解は、「理性の血」という高いレベルに成長しなければできないものだということです。

前回の記事は、「読書」が、人間の濃い「動物の血」をコントロールするための「理性の血」に栄養を与えるために不可欠な活動だという話でしたが、本書によってその読書によって鍛えられる本質的な部分は、まさにこの「ベータ読み」による「未知を読む」力なのだと納得しました。

 

 

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