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論語と算盤

2020年2月16日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

2024年度前半に1万円、5千円、1,000円の各紙幣が20年ぶりに刷新することが2019年4月に決まり、一万円札の顔が福沢諭吉から渋沢栄一に代わることとなりました。

実は、渋沢栄一がお札の顔になるのは初めてではないようです。

冒頭の写真は、日韓併合前の朝鮮半島における日本の保護国であった大韓帝国で発行された一円札です。

お札に書かれている第一銀行は渋沢が設立にかかわった「第一国立銀行」という日本の銀行で、1878年に朝鮮に進出し、「第一銀行」への改称を経て、1902年から現地で「第一銀行券」の発行を始めました。当時は1円、5円、10円の3種類で、いずれも頭取だった渋沢が描かれ、日本円と引き換えることもできたということです。

ですから、「日本円」のお札としては、渋沢栄一の肖像が使用されるのは今回が初めてということになります。

上記のように、渋沢は第一国立銀行を設立したほか、東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、東京急行電鉄、太平洋セメント、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンホールディングス、サッポロホールディングス、東洋紡、大日本製糖、明治製糖、澁澤倉庫など、多種多様の企業の設立に関わり、文字通り日本の資本主義の基礎を作った大偉人であることは間違いありません。

今回は、この経済の大偉人が生前に行った講演での発言などをまとめた「論語と算盤」の現代語訳版をご紹介します。

上記の通り、渋沢は本当に数多くの会社を作りましたが、むしろ特筆すべきなのは、一般に企業の寿命が30年といわれている中で、彼が作った企業の多くが現代まで元気に生き残り、現代日本においてなくてはならないプレーヤーであり続けているという事実ではないでしょうか。

これは、ただ単にその時代の時流に乗るだけではなく、その会社の経営を世の中に受け入れられる形で経営され続ける基礎を作ったということだと思います。

その二つを両立させるものが、「論語(道徳)」と「算盤(収支)」であるということを中国の古典である孔子の「論語」研究によって彼が明らかにした書物です。

非常に、含蓄のある内容であり、なおかつとても100年以上前に書かれたものとは思えない現代にも十分通じる素晴らしいものでした。

その中からいくつかその含蓄ある言葉を引用したいと思います。

「政界や軍部が大きな顔をしないで実業界がなるべく力を持つようにしたいと考えている。実業とは多くの人にモノがいきわたるようにする生業なのだ。これが完全でないと国の富は形にならない。国の富をなす根源は何かといえば、社会の基本的な道徳を基盤とした正しい素性の富なのだ。そうでなければその富は完全に永続することができない。」

「金銭を扱うことがなぜ賎しいのだ。金銭を賎しんでいては国家は立ち行かない。民間よりも官のほうが貴いとか、爵位が高いといったことは実はそんなに貴いことではない。人間が務めるべき貴い仕事は至る所にある。」

以上の言葉から、渋沢がなぜ官職を辞して、実業の世界に転じたかがよくわかります。渋沢は「金銭」というものが本来国の基幹になる非常に貴いものであるということを確信しながらも、同時に「金銭」というものに対して、人間が堕落しやすい性質を持っていることも理解していました。

「良い医者が大手術でつかう「メス」も狂人に持たせれば人を傷つける道具となる。お金とは大切にすべきものであり、同時に軽蔑すべきものである。ではどうすれば大切にすべきものとなるのか。それを決めるのはすべて所有者の人格にある。」

「政治の枠組みがきちんとしてしかもそれぞれがバランスよく調和し一体化し、何らかの比重が高すぎるとか、まとまりを欠くということのない状態を「文明」という。言い換えれば、その国の枠組みばかりが整備されても、それを使いこなす人の知識や能力が伴っていなければ、本当の文明国とは言えない。ただし、それはあまりない話だが。したがって、「文明」の中にはおのずと経済力は含まれるととらえるべきだ。だからこそ、「論語」と「算盤」は両立するものと考え、それを目指すべきだ。常にこの二つのバランスが不可欠であると心得るべきだ。」

一般的には「論語」と「算盤」の二つは全くベクトルの違うものであるから、頑張ってバランスとろうという考え方になりがちですが、本書を読むと、渋沢は、孔子が意外にも「この二つのベクトルは違わない」と考えていたという事実をもとに、以上の主張をしていることに気づかされます。

以前に書いたブログで紹介した二宮尊徳の以下の言葉とあわせて大切にしたい考え方です。

「経済なき道徳は寝言であり、道徳なき経済は犯罪である。」

 

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