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豊かさとは何か

2020年9月27日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

日本は太平洋戦争敗戦後、高度経済成長を実現し、一時、一人当たりGDP世界一を成し遂げる奇跡を成し遂げました。

しかし、その栄華は1989年を絶頂にバブル崩壊以降継続的な経済停滞が「失われた10年」、「失われた20年」そして「失われた30年」と現在に至るまで続いています。

本書は誰もがこの日本の「栄華」が「豊かさ」であるということに誰も疑いを持たなかったまさに絶頂期である1989年に、「本当にそうなの?」と疑問を呈したものです。

コロナ禍において、日本の生産性の低さ、それから先進国において日本だけに生じている「失われた30年」に否が応でも気づかずにはいられない状況に追い込まれました。

しかし、そのことに気づくことがやっとで、その原因と解決方法にまで行きつかなくて、悶々とした時間を過ごしているような感じです。

本書は、30年も前に書かれたものであるにもかかわらず、ちょうどいま私たち日本人が直面しているこの「新しい課題」についての原因と解決方法を提示してくれているように思えました。

著者は本書において、日本の「豊かさ」とは、カネで測定できる範囲でのみ追求された結果であり、そこにはそのカネによって達成されるべき、生活(こころ)の豊かさという尺度がそっくり抜け落ちてしまっていると指摘しています。

つまり、手段(カネ・経済)と目的(豊かさ・幸せ)の混同が生じているということです。

以下に、本書において私が印象に残った部分を引用してみたいと思います。

「カネとモノをひけらかして金持ちぶりを自慢し続けるということの中に、実はそれしか自慢するものがない社会の貧しさを私たちは自覚せざるを得ない。日本人は全てを経済に特化するために、他のすべてを捨ててきたからである。」

「企業が投資をするのは、自己増殖が目的である資本にとっては当然の行為だが、人間の生活にとってのカネとモノは本来生活に必要なだけあればよい。つまり、『資本の求める目的と生活の求める目的は違っていて当たり前』。なぜなら、もともと経済活動は人間を飢えや病苦や長時間労働から解放するためのものであって、経済が発展すればするほど、ゆとりある福祉社会が実現されるはずのものであるからだ。それなのに日本においては逆であった。」

これらを読み進め、なんとなく日本人の「生産性の低さ」の意味が分かってきたように思います。

IT革命による利便性の向上は、多くの先進国にとっては目的である「豊かさ・幸せ」を実現するために、「労働時間の短縮」に最大限活用しようという発想になります。

彼らはどうしたら、今人間がやっている労働をこの技術に置き換えることができるのか、それによって人間はより少ない時間で現在と同じかそれよりちょっとでもいい収入が得られるようにできないかと考えます。

つまり、効率性を優先します。そして、その発想が次の技術革新にもつながりやすくなります。

それに対して日本人は、目的が「カネ・経済」ですので、例えITの技術が導入されても、人間が長く働けば働くほど、少しでも収入が増えるのではないか、だから、本来はIT技術に置き換えれば、自分の仕事を圧倒的にに楽にできるのに、長時間労働をやめられません。

つまり、絶対性を優先します。

今回のコロナ禍において特に、行政の「給付金」の配布がいい例で、インターネット申請が可能な仕組みを導入したのにも関わらず、その集計を人間が紙のデータと照合するために、長時間労働しなければならないのと同時に、受給すべき私たちも長期間にわたり待たなければなりませんでした。

つまり、ITの導入が目的となってしまって、それを導入した後何を実現したいのかという視点が全くないと言わざるを得ませんでした。

これでは、日本から魅力的な技術革新が起こることを期待することはできません。

こんなことがそこらじゅうで起こっていることに気づけば、日本の生産性の低さや先進国において日本だけに生じている「失われた30年」は十分に理解できるわけです。

著者が本書を書いた時、日本は経済の絶頂にいましたが、他の先進国はそれを見て、一瞬は日本に学ぼうかという気持ちにもなったかもしれませんが、次第に日本と同じレールには乗ることなく、本当の豊かさとは何かに向き合う時間の使い方をするようになったのだと思います。

しかし、日本では30年も前にこれだけ明確に日本人の豊かさに関わる認識の問題点をピックアップされ、書籍化までされていたのにもかかわらず、この30年間日本人の認識は全く変わりませんでした。

その間、他の先進国は、長時間労働を減らしながらも、昨日よりちょっとでもいい収入が得られるようにと効率性を追求したことで、両者には圧倒的な差が生じたのです。

72の法則」を出すまでもなく、年たった1%の成長でもそれが72年続けば倍になるわけですから、生活の向上を意識しつつ、この「昨日よりちょっとでも」の姿勢を続ければ、他の先進国の成果は十分に達成できるものであることが分かります。

この事実を突きつけられた私たちは今、遅ればせながら30年前に欧米が向き合った時間に向き合う必要があるのではないでしょうか。

全く遅ればせながらと言わざるを得ませんが、このコロナ禍を、私たち日本人がこの時間と向き合う最後のチャンスだと思うべきでしょう。

 

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