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「車は左側」通行の謎

2019年10月28日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

以前にご紹介した日経電子版の「交通ルール」に関する記事からもう一つのテーマを取り上げたいと思います。

前回は「人が右」についての謎に迫りましたが、今回は「車が左」についてです。

以下該当部分を引用します。

「もともと、日本は人も車も『左側通行』だったといわれる。理由は諸説あるが、『江戸時代に武士が左の腰に差していた刀の鞘が、すれ違うときに触れあうのを避けるため』という説が有力という。車についても『馬に乗るときに刀が邪魔にならないよう左側から乗っていた』なごりで左側通行となったといわれている。実際に、1920年に交付された道路取締令では人も車も左側通行と規定されている。だが第2次世界大戦後の49年にGHQの指導で道路交通取締法が改正。『人は右、車は左』という対面交通の考え方が取り入れられた。ただ、GHQは当初、米国式に『車は右側通行』への変更を求めた。だが道路設備の変更やバスなど車両の乗車口の変更に費用がかかると反対が強まり、安全上の都合から『人は右、車は左』の対面交通を導入したとされる。」

ただ、ここで前回同様、素朴な疑問が浮かんできます。

イギリスは日本と同じ「車は左」ということは有名です。

にもかかわらず、上記の引用から分かるように米国式は日本の反対である「車は右」だということです。

そもそもアメリカはイギリスの植民地だったわけで、そのあたりのところどうなっているのか、ヨーロッパも含めて世界の「車の通行」についての歴史的な流れについてどうしても知りたくなってしまいました。

そこで、また今回も調べてみました。そして、こちらのページを筆頭に、いくつかの有益なサイトを見つけました。それらのページから重要な情報を抜き出してまとめると以下のようになります。

「中世までは世界の道路はほとんどが左側通行であった。なぜならば、どこの国でも多くの人が右利きなので、左側通行が自然だからだ。しかし、その世界の趨勢に大きな変化を与えたのがあのナポレオンだ。彼はヨーロッパのほとんどを征服したが、フランス国内はもちろん、各地に『右側通行』の法令を出し、ヨーロッパ大陸の交通ルールを統一した。なぜナポレオンが人間の自然である左側通行に反して、右側通行にこだわったのかには諸説あるが、有力な理由として、ナポレオン自身が左利きで、戦略的に有利だったからと言われている。ただし、イギリスはナポレオン戦争中一貫してナポレオンが率いるフランスに敵対し、最終的に勝利した。そのため、イギリスではヨーロッパの中でも珍しく、当初のまま『左側通行』である。そして、日本を除けば、旧イギリスの植民地であったオーストラリア、ニュージーランド、インド、香港、シンガポールが同じく『左側通行』だ。ただ、旧イギリス植民地の中でアメリカについては、イギリスからの独立戦争時にフランスの支援を受けており、独立時にイギリスからの影響力を排除する意図から『右側通行』に変更したと言われる。」

こちらが現時点における世界の「右」「左」です。

「すべての道はローマに通ず」

とも言えそうだが、

「ローマは一日にしてならず」

というのもまた真なり。

こんなに身近な習慣も、実は壮大な世界史のうねりによって生み出されていることを知ると人間の営みは全て連続していることを否応なく再認識させられます。

 

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