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逝きし世の面影

2022年2月14日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回「神道と仏教の話」をご紹介して、神道と仏教のお互いを排除しない姿勢に代表される日本人の「融合」の精神性の素晴らしさについて見ました。

その中で、幕末に来日した西洋人たちがそのような「日本の精神性」への感動を記録した手記や手紙をまとめた「逝きし世の面影」という本を紹介していたので早速読んでみることにしました。

多くの日本人は、太平洋戦争の敗戦によるGHQの占領と統治を経て日本古来の良いものも悪いものも捨て去り、全く新しい「日本」と「日本人」に生まれ変わった結果、そのうちの良いものとしての「日本の精神性」を喪失したという認識をしがちです。

しかし、本書を読むと、それはその時ではなく、もう少しさかのぼった「明治維新」による近代化のタイミングであったということが自然と感じられるようになります。

本書には、それ以前に存在した「日本の精神性」についての当時在日した欧米人による記録が、全580ページにわたって著者の解説を交えながら収録されています。

まずは、イギリスの女性探検家で「日本奥地紀行」の著者イザベラ・バードの記録をご紹介します。

「馬で東北地方を縦断する中でしばしば民衆の無償の親切に出遭って感動した。その日の旅程を終えて宿についた時、馬の革帯が一つなくなっていたのだが、その日本人の男はもう暗くなっていたのにそれを探しに一里も引き返し、私が何銭か与えようとしたのを、目的地まで全てのものをきちんと届けるのが自分の責任だと言って拒んだ。また、山中の村で、みっともない恰好をした女は、休息した場所で普通置いてゆくことになっている二、三銭を断固として受け取らなかった。私がお茶ではなく水を飲んだからというのだ。私が無理に金を渡すと、彼女はそれを同行の通訳に返した。」

ここで思い出したのが経営学では当たり前の知識となっている「マズローの欲求5段階説」です。

このイザベラ・バードの指摘は、本来「経済的な豊かさ」がなければ「精神的な豊かさ」は存在しえないというこの経営理論が当時の日本には当てはまらず、前者がなくとも後者は当り前のように存在していたことを表しているように思います。

続いて、オランダ海軍教育隊の医師ポンぺについて著者は次のように書いています。

「ポンぺには、日本に対する開国の強要は、十分に調和のとれた政治が行われ国民も満足している国に割り込んで、『社会組織と国家組織との相互関係を一挙に打ち壊すような』行為に見えた。彼は教育隊の帰国後も長崎に在留して、開国後の日本人の堕落をその身で経験し、かつ嘆いた人である。」

また、アーネストサトウと並ぶ日本研究家で38年間日本に滞在し海軍兵学寮や東京帝国大学で教鞭をとったバジル・ホール・チェンバレンは著書「日本事物誌」に次のように書いています。

「古い日本は死んだのである。亡骸を処理する作法はただ一つ、それを埋葬することである。本書はいわばその墓碑銘たらんとするもので、亡くなった人の多くの非凡な美徳のみならず、また彼の弱点をも記録するものである。」

前述したように、私たち日本人がかつて持っていた素晴らしい「文明」を失ったタイミングすら正確に自覚できていないという事実とともに、このような過去の自分たちの面影を外国人の記録によってしか知ることができないということに愕然とする思いです。

とはいえ、もし仮に日本がかつての自己を否定する近代化の道を歩まなかったとして、これらの日本の精神性を賛美する記録を残した人たちの祖国である欧米列強は私たちの日本をそのまま放っておいてくれたでしょうか。

残念ながらそれもあり得なかったはずです。

おそらく地球上には日本に限らずアジアやアフリカの多くの国々に「逝きし世の面影」はあるはずなのです。

そう考えると、それらの記憶をこれだけたくさん集めこの一冊にまとめた著者のこの仕事のありがたさを改めて感じざるを得ません。

 

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