代表ブログ

隔世の感

2017年9月4日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

インターネットが当たり前になって久しく、最近ではIOTなどと、すべてのモノがインターネットにつながるということが普通に議論される時代になりました。

私は、大学を卒業するのに、PCを一切使用せずに卒業できたぎりぎり最後の世代の人間だと思います。

卒業年は2002年でしたから、それでも多くの授業では、レポート提出を電子メールやフロッピーディスク(これ自体すでに産業遺産状態ですよね)にて行うようにという指定がありましたが、私は極度のIT音痴だったので、それらをすべて避け、数少ない紙のレポートOK(しかもできれば手書きOK)の授業だけを選りすぐって何とか卒業したという、その世代の中でも非常に珍しい人間だと思います。(笑)

そんな私でも、ここまでIT化が進み、生活や仕事に必要になれば、PCやスマホを当たり前のように使うようになりました。

ですから、生まれた時からIT機器に囲まれて育った今どきの若者は、どれだけそれらに習熟しているのだろうという羨ましいような感情を持っていました。

ですが、先日偶然見つけたこの記事を見て驚きましたが、事情はかなり違うようです。

記事では、ある会社の上司が、新入社員に対して翌日の会議で使用する資料をPCにて作成するように指示したら、その新入社員は、

「キーを1つ1つ確認しながら、ゆっくり入力しているんです。たまりかねて、“ブラインドタッチできないの?”と聞くと、堂々と“できません”って…。調べものの検索もスマホの方が慣れてるからと、PCを使わないんです」

また、ある大学教授によれば、

「名門と呼ばれる大学の学生は、(卒論など複雑な資料整理能力が必要となるため)PCを使っているが、(本格的な卒論を書かせたりすることが少なくなっている)それ以外の大学の学生はPCを使わない率が高い。レポートもスマホで作成する。」

とのことです。

実際に、ある調査によれば、2017年3月卒の大学生の97.4%がスマホを持っていると答え、一方で、自分専用のPC所有率は71%という結果のようです。

今まで、技術の発展によって、あらゆる機器の使用における利便性は向上することはあっても、低下することなどあり得ませんでした。

携帯電話にしても、軽量化と通信可能性は両立してきました。自動車にしても、快適性と省エネ性も両立してきました。

ですが、このスマホというPCの特殊形態は、技術の進歩の中で、初めてその両立が図られない状態にあるものではないかと思うのです。

携帯性を重視し、その中に非常に高い処理性能も内蔵可能にしたものが、「閲覧性」や「操作性」というものを犠牲にしているというマイナス面にあまり目がいかない内に、あっという間に広がったことによって、このような状態を作り出しているような気がします。

「携帯性」と「閲覧・操作性」の両立を図るとすれば、例えば、スマホがプロジェクターのようになって、どこでも大画面で見られ、また音声認識がもっと進み、完全にヴォイス入力が可能となる必要があります。

それには、バッテリー能力の向上という電気の発見の時代からずっと人類の課題である「電池を貯める」化学技術の向上にも期待しなければなりません。

また、音声認識機能については、そこそこの結果が出ているようですが、まだまだ信頼が足る段階にはなっていません。

スマホ難民を救うには、もう一歩進んだ技術が必要となりそうです。