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集中力はいらない

2019年9月18日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回は、「科学者という仕事」という本をご紹介して、科学者の本質に迫りました。

その中で、私はその本質を「集中する」ことだととらえました。

それは、人間の人生の長さは限られている中で、科学の世界で成果を出すには、何を研究するのかと同時に、何を研究対象から外すか、すなわち自らの選んだ研究に「集中する」ことが重要だという意味です。

今回は、「科学者」から「執筆家」という転身を果たされた森博嗣氏の本をご紹介することで、「集中」とは正反対の「分散」の重要性についても考えてみたいと思います。

その本のタイトルはズバリ「集中力はいらない」です。

本書の趣旨はざっと、こんな感じです。

発想は、集中している時間には生まれない。もちろん、集中すべき時はあるが、ずっと一点に集中することでは問題が解決されないことがほとんどだ。そこで必要となるのが、そのような解決不能な問題を打開する「ひらめき」だ。それには、集中すべき時に一生懸命集中した後、別の道はないかと「キョロキョロあたりを見回す」ことだ。それを経た後、突然「ひらめき」が生まれることが多い。つまり、成果を出すための人間の思考には、短い「集中」と長い「分散」が必要だ。

確かに、集中だけでは、煮詰まってしまって問題解決につながらないという経験を私たちは当たり前のように経験しています。

そして、著者の主張のように、「集中」をやめて思考を「分散」した時に「ひらめき」が訪れる経験も多くの人が持っていることでしょう。

それなのにもかかわらず、世の中では、常に「集中」がもてはやされ、「分散」は疎んじられます。

その常識に一石を投じるために、著者は本書を書かれたのだと思います。

そして、その著者の考えに素直に納得できたのが、本書の中でのある指摘でした。

それは、人間はそのような「分散」の有効性の経験を実用に自然体で生かしているケースとして挙げられていた以下のような「学校の授業」の構成についての指摘です。

「学校ではなぜ、まず一年間は国語、次の一年は算数という時間割にしないのか。もし、集中することだけが善ならば、当然そうするべきなのに、そうなっていない。分散し、同時進行することの有効性の共通認識があったからだろう。」

私たちは、この常識によって、デフォルトで「集中」の重要性を理解してしまっているので、もう少し意識的に「分散」の重要性を捉えなおす必要がありそうです。

 

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