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21世紀の資本主義を読み解く

2019年4月3日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回、村上世彰氏の「今君に伝えたいお金の話」をご紹介して、彼の一般に世の中でとらえられているイメージと本書で語られている彼のお金に対する考え方とが全く違うことに気づかされたことを書きました。

そのうえで、もう少し詳しくお金について、そしてそれを基本として回っている経済の基礎的考え方である資本主義について学びたいと思って「21世紀の資本主義を読み解く」という本を読んでみました。

すると、本書にはこれまた一般に世の中でとらえられているイメージと全く異なる考えを持たれていたということを経済学にまつわる超有名人に関して知ることとなりました。

その超有名人とは、アダム・スミスです。

アダムスミスは、その著書「国富論」で市場自由経済の重要性を説き、そのことから資本主義の父ともいわれる経済学者です。

「神の見えざる手」に代表される自由主義経済、市場主義経済の生みの親とも言えるわけですから、本書を読むまでは、前回の村上世彰氏同様、いやそれ以上に、弱肉強食を地で行く考えの持ち主だと信じて疑いませんでした。

ところが、本書では実はアダムスミスが、経済学者である前に道徳哲学者であったという事実が紹介されていました。

アダムスミスは、「国富論」を書く15年前に「道徳感情論」という哲学書を出版し、次のように行き過ぎた非道徳的な経済活動に警鐘を鳴らしています。

「富や地位を求める野心は、経済発展をもたらすメリットにもなることもあれば、社会秩序を乱すデメリットもある。そのデメリットとは、競争に打ち勝つための野心が道徳心にかける人の不正行為を呼び起こすことにつながり、公正な社会にならないということである。では、どのような野心が認められて、どのような野心が認められないのか。野心と競争の目標の達成には、目に見えにくい『徳への道』と見えやすい『財産への道』の二つが存在し、賢者は目に見えにくい『徳への道』を選ぶ傾向がある。」

目からうろことはこのことかと思うほど衝撃を受けました。

「道徳感情論」の後に「国富論」を出版するという著作の順序から言ってスミスは、明らかに自由経済・市場経済がまともに働く、すなわち「神の見えざる手」が機能するためには、絶対的条件として、その経済に参加するものは「賢者」でなければならないと言っているととらえるべきでしょう。

まさに、前回の記事にてご紹介した二宮尊徳の「経済なき道徳は寝言であり、道徳なき経済は犯罪である。」という言葉の意味することそのものではありませんか。

なんという偶然だろうかと思ったのですが、アダムスミスが「道徳感情論」に続き「国富論」を書いたのが、1776年で、二宮尊徳が生まれたのが、1787年であることを考えると、二宮尊徳はこの言葉を発する前に、アダムスミスの一連の著作に何らかの形で触れていたと考えるのが自然ではないかとも思えてきました。

どちらにしても、この考え方は資本主義の父といわれる人がその前提として主張したものである以上、この考え方をとりえないのであれば、いずれにしても資本主義はもたないととらえるのが自然のような気がします。

 

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