
22世紀の資本主義
2025年3月20日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
このブログでかつてご紹介した「22世紀の民主主義」の著者成田悠輔氏の「22世紀」シリーズの続編とでもいうべき「22世紀の資本主義」を読みました。
前回の記事の中で私は次のように前著を評価しました。
「そのすべてが、単なる思い付きではなく『データ(エビデンス)』に基づくものであるというのが非常に頼もしく感じられます。とはいえ、著者自身はあくまでもその実行主体になる気はさらさらないようで、あくまでも『案』の提示を机上で展開することがご自身の仕事だと割り切っています。」
要するに、データによる正確性を持たせながら、その実行は他人任せのある意味「客観的無責任」な姿勢で「22世紀の民主主義」を私たちに見せてくれたというものです。
それに対して本書は、必ずしもデータに基づいた予測ではないどころか著者は「妄想」とまで言っており、そのような意味で「主観的無責任」な姿勢で「22世紀の資本主義」を見せてくれています。
ですが、その見せてくれたものの解像度は「客観的無責任」な前著よりも「主観的無責任」な本書の方がずっと高く、納得感と期待感に満ちたものだったと私は思いました。
それは「お金の消滅した社会」です。
以下に、著者が妄想する「22世紀の資本主義」を描写している部分を要約引用します。
「私たちが今お金や市場と呼んでいる存在の設計が雑すぎるから国家による分配が必要になってくるのだ。なぜなら一人一人の背景や趣味趣向センスに基づいた必要性がそれぞれに異なるのに、それらを把握することが技術的にできないという理由から一物一価という雑すぎるシステムで無理くり運営せざるを得ず、その結果、格差が広がり、それを解消する必要が生じるからだ。しかし、その分配も技術的に未熟な方法で行われるので恐ろしいほどの非効率不公正が生じてしまう。それを技術の力で把握し制御することで修正をしていくということ。現代でもAIの進展によって、一人一人の情報をかなり細かく把握できるようになっており、アマゾンは神様なのではないかと思うくらいに、私たちのことを分かってくれている実感がある。そのような技術がもっと進展して、すべての人間が参加する社会のあらゆる取引が最も効率的に制御されることにより全体の生産性が最大化され、またそれが人間の幸せの本質に基づいた形で最善な再分配が行われることで、お金が消滅した経済社会が実現される。」
つまり、すべての人間が平等に完璧な情報開示をして、それらをすべてデータ化することによって、一人一人の履歴が社会の中でたまっていくようになります。しかも、今までのような一次元の評価基準であるお金による無理やりな押し込め評価をする必要がなくなることで、例えば主婦の家事労働やボランティアなどの労働を含めたすべての人間のやりとりが履歴データとして評価されるようになるのです。
何かの取引をしようとしたら、蓄積されたその人の履歴データによって取引条件がはじき出され、社会全体にとって最善の形で取引が制御されるので、お金という概念が消滅して、なんというかその人の趣味趣向センスなどを含めた過去履歴としての「トークン」が増減していくようなイメージです。
そして、一つ一つの取引の中で公平性平等性効率性が達成されるので、徴税や再分配のような非効率すぎる国家の関与の必要性はなくなります。よって、国家が存在する理由は、夜警国家のような「警察(軍隊)」や「司法」などの機能に限定されるようになります。
このような社会を、著者は「招き猫アルゴリズム」という言葉を使って表現しています。
「人々の満足、社会的制約、そして公平性欲求。この三者をバランスするように、過去の履歴データに基づきどのような行動をそれぞれの人がとるべきか、招き猫アルゴリズムが計算し推薦する。そこではある人や集団だけがやたらと満足している状態は存在しえない社会。」
本書を読み始めた時、「お金の消滅した社会」というイメージが全くわかなかったのですが、読み続けていくにつれ、少しずつじんわりとイメージできるようになっていきました。
こちらのイメージをもう少し具体的に理解するために有用な「令和の虎」の著者出演回の動画を見つけましたのでこちらもご覧ください。
この動画の中で、上記の文章だけではなかなか分かりにくい部分に関して、体感的理解を促す表現がありましたので以下その部分を引用します。
「(お金が消滅した社会では)ラーメン屋に誰でも入れて、いくらでも食べられる。しかし、
また、これってカールマルクスが考えた「資本主義」が究極に発展した後にくる「共産主義」という概念という発言もありました。
アマゾンのレコメンド機能などが全く存在していない段階でこのような説明をされても全くピンとこなかったのだと思いますが、今ではなんとなく理解できるような気がしています。
そう考えると、このような妄想ができてしまう成田氏の先取り能力に驚かされるわけですが、マルクス先生というのはどれだけ先取すれば気が済むんだろうとただただ驚かずにはいられなくなります。