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FAXを捨てられない日本人

2024年8月8日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

DXが叫ばれるようになってだいぶ時間がたったこの日本ではありますが、なぜか「FAX」がなかなか健在ではあります。

この技術的に言ったら時代の遺物とでもいうべきFAXのその健在ぶりは、わが社においても例外ではありません。

日本の「FAX健在現象」について、クーリエジャポンが「興味深い記事」を書かれていましたのでご紹介します。

「日本でいまだFAXやフロッピーディスクなど旧来のテクノロジーが使われている『本当の理由』を探ってみた。すると、『安全第一』や『ものづくり』など日本独自の価値観が関係していることが見えてきた。日本の古いテクノロジーへの依存は際立っている。この国は長い間イノベーションで知られ、日本といえばロボット、音が鳴るトイレ、超高速の新幹線など、近未来的なユートピアのイメージだ。その一方、スマートフォンの時代になっても折りたたみ式の携帯電話が普及し続け、職場でFAXを廃止しようとすると抗議の声が上がる国でもある。デジタルネイティブではない高齢者が人口の大部分を占める日本社会では、当然その影響は大きくなる。カリフォルニア大学サンディエゴ校教授で日本のビジネスが専門のウリケ・シェーデは、日本語が障害になっていることに加え、日本人のモットーである『安全第一』の精神も関係していると話す。『日本では一般的に100パーセント証明されないと物事が前に進みません。ミス、データの漏洩や紛失はどれもリスクであり、実際に起これば大きな代償を払うことになります。米国人は進歩のためにはそうしたコストを問題にしませんが、日本人はそうではありません』上智大学の中野晃一教授(政治学)は、政府が古いテクノロジーを使い続けている理由として、予算と人員の不足を指摘する。USBやクラウドストレージのようなより先進的な技術は、『技術的なサポートが充実していなければ、リスクが大きすぎると考えられたのかもしれません』と述べる。早稲田大学の客員教授で『ジャパナメリカ 日本発ポップカルチャー革命』の著書があるローランド・ケルツによれば、旧式のテクノロジーが広く使われているのは、着物や漆器など物理的なものを作ることに価値を置く、日本特有の『ものづくり』の概念に関係しているという。『フロッピーディスクは必ずしも見た目的に美しく作り上げられたものではありません。でも物理的な製品であり、手入れをして良い状態に保てば、機能を果たしてくれます。手に取ることのできない抽象的なクラウドよりも、はるかに信頼できるのでしょう。』物理的なデザインを重視する姿勢が日本の強みであることは、多くの点で証明されている。日本企業は、ソニーのウォークマンからニンテンドースイッチまで、画期的なハードウェアをデザインすることで成功を収めてきた。世界で高く評価されているスタジオジブリの宮﨑駿監督は、『手作業で丹念に』仕事をしているとケルツは言う。そして、私たちが『ハイテク日本』に対してイメージするものは、たいてい新幹線のような物理的な技術だと彼は指摘する。このデジタル時代、目に見えるものに対するこだわりは古臭く感じられるかもしれない。だが、そのこだわりこそが日本の推進力となってきたのだ。ケルツは言う。『日本のレトロは、実はとても未来的だったりするんですよ。』」

私も、このDXの進まなさの元凶はいったい何なのか、いや自分自身のアナログ体質を棚に上げながらも、それにしても異常だと思い、そのことについて常に考え続けてきました。

しかしながら、明確に「これが答えだ」と思えるものに出会えずに今まで来てしまった感じではあります。

それが本誌の中に書かれていた以下の部分は、間違いなく今までで一番その答えに近い気がしました。

「フロッピーディスクは必ずしも見た目的に美しく作り上げられたものではありません。でも物理的な製品であり、手入れをして良い状態に保てば、機能を果たしてくれます。手に取ることのできない抽象的なクラウドよりも、はるかに信頼できるのでしょう。」

この言葉にアナログ人間である私は最も強く共感しました。

いや、私だけでなくとも、スペースシャトルが引退した(せざるを得なくなった)後、スペースX社の宇宙船クルードラゴンが軌道に乗るまで、世界で唯一人間を宇宙空間に運べたのはアナログ感満載のロシアの宇宙船ソユーズのみだったことを考えるとそれもまたなるほどなと思えてしまいます。

ただ、こんな指摘もありました。

「日本では一般的に100パーセント証明されないと物事が前に進みません。ミス、データの漏洩や紛失はどれもリスクであり、実際に起これば大きな代償を払うことになります。米国人は進歩のためにはそうしたコストを問題にしませんが、日本人はそうではありません」

「ミス、データの漏洩や紛失はどれもリスクであり、実際に起これば大きな代償を払うことになります。」

確かにそれはリスクでしょう。

ですが、そのリスクをその国全体としてどの程度受け入れるかによって全体の効率性・効果性は全く変わってくるはずです。

いくら私のようなアナログ人間でも、それでもリスクゼロまで受け入れないという日本のような性向が「最適解」では決してないことは理解できます。

人間社会を進歩させるのは、「100%の安全」ではなく、適切なリスクをとったうえでの「イノベーション」だということは頭では分かっているのです。

最近、この記事を読んでから、ランゲッジ・ヴィレッジのオフィスのFAXを見るたびにそのことが頭に浮かんできて、本当に残念な気持ちになるのですが、それでもなお撤去を断行できないという自己矛盾にあきれ、自分自身もまた日本人なんだと再確認させられるばかりです。

 

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