Give&TakeよりGive&Give
2014年2月23日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
本日ご紹介します書籍は「Give&Take与える人こそ成功する時代」です。
タイトルからして非常に興味をそそられました。
常識的に考えれば「Take&Take」(=奪う人・テイカ―)、まあかなり控えめに考えても「Give&Take」(=調整する人・マッチャー)が成功への最低限の条件ではないかと思うからです。
それが、「Give&Give」(=与える人・ギバー)のみの人が成功する時代というコンセプトです。
このコンセプトをどのように矛盾なく説明するのかという点に非常に興味を持ったのです。
この本は、私の嫌いないわゆる「翻訳本」ですが、躊躇なく手に取りました。
それは監訳をされているのがあの「戦略ストーリー」で有名な楠木教授であったからです。
楠木教授の論理性とストーリーを大切にする姿勢は、彼の著作を本当に読みやすくし、そして読者に反論の必要性を感じさせない気持ちよさを担保してくれます。
しかしながら、今回のこの作品に関してはその楠木先生の監訳をもってしても、文章の流れにぎこちなさがどうしても感じられてしまいました。
もっとも、本書が楠木先生の翻訳ではなく監訳(他社が翻訳したものを監修すること)ですから仕方ありません。
何とか、訳という概念を外してもらって、完全に訳者が一旦自分の体の中に取り込んだうえで完全に自分のものとして出すという方法はとり得ないものでしょうか?権利的にそれはそれでややこしい問題になりそうですが、、、特にこのタイミングでは。
是非、新しい出版の形を研究していただきたいです。
それでも、内容としては素晴らしいものでした。
しっかりと、この難しいコンセプトを矛盾なく説明しきっているように感じます。
以下にざっくりではありますが、「与える人」が「奪う人」や「調整する人」よりも成功できるというコンセプトについてまとめてみたいと思います。
まず、「奪う人」や「調整する人」の限界があげられます。
彼らの行動の基礎はゼロサムゲームだということです。パイの大きさが決まっている中で、自分の利益を最大化しようとする動きに終始しているに過ぎません。
それに対し「与える人」は、自らのためだけでなく、第三者の幸福のためという大義のもと全体のパイを大きくする姿勢が行動の基礎にあるということです。これによって、与えようとすればするほど、自分を含めた全体の価値を最大化することができるようになります。
しかし、著者のすごいところは、私たち一般の人の皮膚感覚に対するケアも忘れていないところです。「お人よしは馬鹿を見る」というケースは実際には生じるはずだという点を検証しなければなりません。
これについては、「与える人」を「自己犠牲型の与える人」と「他者思考の与える人」という
二つのパターンに分けるのです。
前者は当たり前ですが、最も成功しないパターン。
私たちが一般に皮膚感覚的に理解する「お人よしは馬鹿を見る」というケースです。このようなタイプの与える人が「奪う人」と対峙した場合には、簡単に相手に対して感情移入して、結局だまされるということになってしまいます。
それに対して後者は、相手に対して感情移入して無条件に与えるのではなく、その思考を分析することで「奪う人」に対処します。
つまり、分析の結果、相手が「奪う人」であると判断した場合にのみ「調整する人」となって行動をするというものです。
ここで、じゃあ結局一番成功する人は「調整する人」なんじゃないかという気もするのですが、そうではありません。
完全な「調整する人」というのは、冒頭に戻りますがあくまでもゼロサムゲームを前提としていることを忘れてはなりません。
あくまでも、「他者思考の与える人」は、第三者の幸福のためという大義のもと全体のパイを大きくする姿勢が行動の基礎にある人であるわけです。その中で、賢明な判断の下、適切な行動をとってそつなく利益を守ることができる必要があります。
つまり、非常に稀有な人間です。だからこそ「成功者」は数えられるほどしかいないのです。
このように、今回は楠木教授ご自身の著作でも翻訳でもなく監訳でしたが、その作品の選択についてはまたもや非常に複雑なコンセプトを筋をもってきちっと正攻法で説得するというセンスの良さが光った素晴らしいお仕事だったと思います。