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「空気」の研究

2021年12月3日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回ご紹介しました「失敗の本質 戦場のリーダーシップ編」にて、日本陸軍が命令系統を無視して、独断専行を黙認、推奨することによって日本を破滅に導くことになってしまったその原因の一つの説明として「空気」の存在を挙げていました。

その指摘の際、このブログで以前にご紹介した「日本人とユダヤ人」の著者イザヤ・ベンダサンこと山本七平氏によって書かれた「『空気』の研究」という本を参照されていましたので、読んでみました。

本書の冒頭で著者はこの「空気」の存在を以下のようにズバリと指摘しています。

「ある教育雑誌の記者の来訪を受け、『道徳教育』について意見を聞かれたので、『道徳教育を考えるのであれば、『日本の道徳は差別の道徳である』という現実の説明からはじめればよいと思います。』と伝えた。すると記者は『そ、そそ、そんなこと言ったら大変なことになりますよ。』と言ったので私は『どうしてですか、私は事実をそのまま言っているだけではないですか、例えば大量殺戮テロが起こって道路に重症者が倒れていても、多くの日本人は傍観するでしょう。ただところどころで助ける人があるとしたら、そのほとんどは被害者の『知人』でしょう。明らかに知人・非知人に対する差別は存在するのは事実です。その事実をそのままに知らせることをしなければその差別を克服することはできないでしょう。』と言ったら、彼は『そんなこと絶対に書けませんよ。うちの編集部はそんな話を持ち出せる『空気』じゃありません。』と言った。」

これはつまりこういうことではないでしょうか。

現に自分が従っている規範が間違っている、もしくは問題があると論理的に理解していながらその規範に従っていたとしても、「日本の道徳」はその事実を口にすることを禁じており、それを口にすること自体が不道徳行為としてみなされてしまう。

この共通認識こそが「空気」であり、日本においてはこの「空気」が論理的結論よりも圧倒的に優先されてしまうということです。

著者は改めてこの「空気」を次のように定義しています。

「空気とは、非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ『判断の基準』であり、それに抵抗する者を異端として社会的に葬るほどの力を持つ超能力である。」

しかし、そんな「空気」に支配される私たち日本人であっても、まがいなりにも科学が高度に発展した現代社会に生きています。落ち着いて考えれば、このような「超能力」に完全に従うほど無知蒙昧ではないという自覚はあります。

しかしながら、このコロナ禍ではその自覚が揺らいでしまうような残念な状況を何度も何度も全国的規模で目の当たりにしました。

この「自覚」と「残念な状況」が並立するようなこの現実を著者はまた次のように説明しています。

「我々日本人は『論理』と『空気』のダブルスタンダードの下に生きている。そして我々が通常口にするのは論理的判断の基準だが、本当の決断の基本となっているのは空気的判断の基準である。この二つの基準はそう截然と分かれていない。両者は一体となっている。いわば議論における論者の論理の内容よりも議論における言葉の交換それ自体が一種の『空気』を醸成していき、最終的にはその『空気』が決断の基準となるという形をとっている場合が多いからである。」

なるほど、と思わされる非常に分かりやすい説明ですが、同時に著者は次のような警鐘も忘れていません。

「そのような醸成された『空気』の責任は誰も追及できない」

責任追及がなければ、その決断の結果が失敗に終わったとしても「反省」することができません。

このことが、コロナウィルスによる直接的被害が世界で最も少ない国の一つでありながら、経済においては日本が「一人負け」と言われるくらいに停滞し続ける理由のような気がしてなりません。

 

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