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ろくでもない近未来を迎え撃つために

2021年5月16日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前々回の「武器としての資本論」、そして前回の「お金は歴史で儲けなさい」と連続して知識を「武器とする」ことによって、自分と自分に関係する人間の生活を守ることを意識的に行うことの重要性について考えてきました。

最後にもう一冊、今回は「馬鹿ブス貧乏な私たちを待つろくでもない近未来を迎え撃つために書いたので読んでください。」をご紹介します。

何とも、長く、そして目を疑うような挑発的な表現のタイトルですが、本書の中ではこの「馬鹿ブス貧乏」という表現を次のように定義しなおしています。

「全人口のうち上位3%の知力の持ち主でなければ馬鹿です。美貌やプロポーションの良さだけで高収入を得ることができないならブスです。どんな政治的社会的変動があっても、生活が安泰な超富裕層以外は貧乏です。つまり、普通のその辺の人間は、全人口の97%くらいの人間は、みな『馬鹿ブス貧乏』です。不愉快でも受け入れてください。」

このことから、本書は、普通のその辺の人間である私たちがいかに「武器としての」知識を持たずにこの「ろくでもない」世の中を無防備に生きているのかについて明らかにして上で、前々回、前回と紹介してきた書籍と同様に、この挑発的なタイトルを本書に付けることによって「武器としての」知識の重要性を訴えていると理解しました。

本書にて挙げられているAI全盛になるであろう近未来を迎え撃つための「武器としての」知識で一番印象的だったのは、「リベラルアーツ」という意外なものでした。

著者が慶応大学の安宅教授の著書を引用しながら、このことについての言及している部分を引用します。

「リベラルアーツは、日本でよく言われる『教養』のことではない。西洋におけるリベラルアーツ自由七科(文法学、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽)には歴史も文学も入っていない。それは文字通り、『自由の技法』のことだ。自由でいること、自由になるためのスキルのことだ。安宅氏によると古代ギリシアの都市国家の自由民に求められていた基礎教養と基礎スキルがリベラルアーツである。つまり、リベラルアーツの根本は、論理的に分かりやすく記述表現できるようになることなのだ。自由でいること、自由になるためのスキルとは、表現力と論理力なのだ。理系も文系もないのだ。そう考えると、日本の大学の『教養』課程にリベラルアーツはない。日本は先進国になったような顔をしていたが、国語による表現力や論理力を鍛える教育機会すら乏しい後進国だ。コロナ危機により、改めて自分の国の実態を知ったことは良かった。うぬぼれた自己欺瞞はろくなことがない。」

つまり、「自由でいること」のために必要なリベラルアーツとは「自分の頭で物を考え」そしてそれを「自分の言葉で分かりやすく伝えられる」知識・スキルということになります。

これさえ身に着けていれば、次から次へと世の中に出てくるAI/IT技術に翻弄されることなく、必要なものを自ら選択し、自ら問題解決に活用することができるようになるからです。

日本において、スキルを教える(学ぶ)のではなく、スキルを選択適用することができる考え方を教える(学ぶ)という姿勢で教育をとらえ直すことができれば、普通のその辺の人間である私たちでも、ろくでもない近未来を迎え撃つことができる社会を作ることができるかもしれません。

 

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