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アジア・シフトのすすめ

2019年7月17日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

2019年の4月より改正入管法が施行され、日本もようやく単純労働(政府としては完全な単純労働ではないといっていますが)を外国人に対して解放しました。

その労働力の供給源として主に考えられるのがアジアですが、そのアジアについてもう一度見直してみようと思い、少し古い(2015年)本になりますが元参議院議員の田村耕太郎氏の「アジア・シフトのすすめ」を読みました。

私は、ランゲッジ・ヴィレッジの事業として「中国語講座」を運営していますし、(一社)日本実用外国語研究所(JIPFL)の事業で「SEACTテスト」を運営しているため、東アジアや東南アジアとのつながりを現在進行形で持っているため、一般の日本人と比較してもアジアに対する見方についてはかなり積極的な方だと自負をしていました。

しかしながら、本書を読んでその私の見方はまだまだ「甘い」ということを自覚させられました。

成熟しきってしまって、人口動態からも、どう考えても自分たちの力だけでは経済力を維持することすらできないことが明らかな日本と、これからどう考えても経済的に発展することしか考えられないアジアの国々という二つの存在を考えたときに、私たち日本人は、その自分たちのすぐ近くにいる「頼もしいエンジン」に対してどのような視線を向けるべきか、考えなければなりません。

というか、襟を正して正視しなければならないのです。

にもかかわらず、私たち日本人は襟を正すどころか、未だに彼らに対して向き合う姿勢としてあまりにも情けない現状があることを著者は次のような指摘をしながら教えてくれています。

「とある東南アジアの某国首脳のアドバイザーと晩御飯をご一緒したときに非常に考えさせられる話を聞いた。彼は日本の主要政治家にも知人が多いが、その日本人たちが彼にアプローチしてくる内容が非常に残念だというのだ。それは、『中国は東南アジアにひどいことをしているから、それに対抗するために日本と力を合わせよう』という内容。これは三つの意味で間違っていると彼は言う。一つ。日本がもっとひどいことをしたことを東南アジアは覚えている。二つ。東南アジアには中華系が多く、中国人をひとくくりにして悪く言われるのが嫌い。三つ。東南アジアは、日本サイドにも中国サイドにも加担したくない。彼は言う。『東南アジアはどちらの側にもつかない。それが東南アジアの叡智だ。どこにも加担せずどことでも仲良くする。それが東南アジアの価値だ。』」

この姿勢は私の周りにも多く見られるものです。しかも、正直言って私自身の中にも少なからず見られると告白しなければなりません。

日本の状況はそんなことを言っている場合ではありません。

将来の自分たちの身を守るためには、今できることをしなければなりません。そのために、まずすべきことは、身の程を知って、謙虚になることです。

本書を読めば、見事にその謙虚さを持たざるを得なくなります。

 

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