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商店街はなぜ滅びるのか

2022年4月18日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回、「不動産激変」という書籍をご紹介して、日本が20年以上にわたる一人負けともいうべき経済的低迷を克服するためのヒントについて学びました。

続けて今回は、同じくこの2~30年間で全国一律的にその力を落とし続けてきたと思われる「商店街」の低迷を克服するためのヒントを学ぶために「商店街はなぜ滅びるのか」というこれまた衝撃的なタイトルの本を読みましたのでご紹介します。

ランゲッジ・ヴィレッジがある静岡県富士市にも大小合わせて4つほどの商店街がありますが、そのどれもが文字通り「シャッター街」と化しており、低迷した地方の商店街の典型としてドラマや映画の撮影のロケ地に選ばれるくらいです。

以下に本書から見て取れる日本のあらゆる地域に存在する「商店街」の成立から発展、そして現在の衰退に至るまでの過程を概観してみたいと思います。

一般的なイメージとしては「商店街」は漠然とかなり古い時代から存在する形態であるように思われるかもしれませんが、実は昭和初期に成立し始めたそこそこ新しいものだそうです。

まず、成立前の状況はこのようなものでした。

第一次世界大戦後の大恐慌により農村の荒廃が著しくなり、農業では生活できない人々が大量に都市に流れ込みましたが、その労働力を吸収することができる産業としては手っ取り早くできる「小売り」しかありませんでした。

そのため、資本も専門性もない非常に質の低い零細小売業者が乱立することになり、結果、彼らにとっても消費者にとっても健康的な発展とは言えない状況にありました。

そのため、行政や商業学者はこのような零細小売業者と消費者とを同時に救済するべく以下の三つの要素を取り入れた「理念」を作りました。

① 百貨店のような娯楽性を兼ね備えた消費空間

② 協同組合による共同主義

③ 公設市場のような小売りの公共性

このように、「商店街」のスタート時点の「理念」は非常に体系的で目的意識の強い近代的なものでした。

この「理念」によって零細小売業者たちは、商業組合を作り、それぞれが「〇〇屋」という個別の専門店となった上で集積することによって、まるで横方向に広がった「百貨店」のような「商店街」が形作られていきました。

この様に発展していった商店街ですが、百貨店やその後隆盛を誇っていく大規模スーパーとの間で専門性や娯楽性などを争う健全な競争をしていけばよかったのですが、実際にはそうはしませんでした。

彼ら自身が政治的圧力団体と化して、百貨店や大規模スーパーに資本力で劣る「弱者」であることを盾に「大規模小売店舗法」などを成立させることで、大資本を彼らの近くから徹底的に排除することを選択しました。

一方、規制によって排除された大資本小売業者は、彼らが位置する繁華街を避け、郊外に効率性、専門性そして娯楽性を追求した「GMS(総合スーパー)」やそれを発展させた「ショッピングモール」などを作ることで、圧倒的な魅力を備えた空間を提供しました。

このことで、かれらは「商店街」が位置する繁華街から消費者を「バイパス」することに成功してしまいました。

その結果が、冒頭で書いたような「商店街=シャッター街」のイメージです。

本書を読むことで、あらゆるビジネスの趨勢は『自助』の一点にかかっており、規制や保護といったものは長い目で見た時には、自らに有利に働くどころか、まるで「麻薬」のように自らを滅ぼす結果につながるという真理を見た気がしました。

 

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