代表ブログ

外国人労働者の魅力

2018年11月21日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

10月以降、外国人の単純労働拡大の法制化に向けた動きが加速していることについて、このブログでも何度も取り上げてきました。

あまりにも短期間に法制化しようしたことから与野党問わず、「拙速感」について批判の声が上がっていることも事実ですが、日本の少子高齢化による国家としての持続可能性に対する疑義を考えるとこの方向性自体は絶対に避けられないものだと思います。

政府の方針に対する批判の大部分は、一定の基準は設けるとは言ってもコミュニケーションの根幹である日本語に不自由な大勢の労働者を受け入れることへの漠然とした不安だと思います。

この漠然とした不安に対して、一つの安心材料となりえる記事が日経電子版にありましたのでご紹介します。

それは、「居酒屋の神様」と言われる楽コーポレーションの宇野隆史社長のインタビュー記事です。

「周りの店を見ていると、言葉ができない外国人アルバイトの子には皿洗いみたいな接客をしないバックヤードの仕事ばかり任せている店が目に付くけど、オレはそれ、大間違いだと思う。もったいないと思うんだよね。だってさ、言葉ができないのは、その子の個性でしょ。だったら、日本人のスタッフと同じように話せなくてもいいわけじゃない。なんたって、外国人というだけでお客さんは興味を持ってくれたりする。接客はさ、「いらっしゃいませ~」ってスリランカの言葉で言って、「これ、スリランカで『いらっしゃいませ』の意味です」というくらいの内容の話ができれば、お客さんは楽しい。メニューに「マグロ」ってあったら「スリランカではマグロってなんて言うの?」って、逆にお客さんが聞いたりしてさ。そのくらいの会話は、すごく日本語がうまくなくたって、なんとなくできるわけじゃない。それで、2、3カ月してお客さんがまた店に来たとき、アルバイトの子がもっとたくさんしゃべれるようになっていたら、「ずいぶん日本語覚えたね~」って、お客さんから声がかかったりするでしょ。彼らはオレたちにはない武器を持っているんだから、それを生かしてあげるのが本当じゃないかと思うんだ。」

もちろん、日本社会で一定期間生活をしていくのであれば、最低限のコミュニケーションをとれる日本語能力は必須です。ですから、政府も受け入れる外国人はその基準をクリアすることを前提に準備をしています。

ですがこの記事を読むと、それは「完成された日本語」のレベルまでを求めることは、外国人労働者を受け入れるということの本質ではないということのように思えます。

そして、「拙い日本語」という「個性」に対して日本人が温かい目でそれを受け入れる、もしくはそれさえも日本人だけの社会にはない「多様性」としての価値として認められるのかという問題なのではないかと思えてきます。

日本人は自らの意志に基づく行動によって「少子高齢化」という社会現象を作り出してしまいました。

そして、それを自らの力で解決しようとしていません。

しかし、それでは日本が持続可能な社会としてやってはいけないことは自明なことです。

だからこそ、外国人労働者に来てもらわなければならないのです。

だったら、彼らをできる限り温かく迎え、そしてそれを今までになかった日本社会の新たな価値として見出していく姿勢が求められているのだと思います。

そんなことを、宇野社長の言葉によって、再確認させられたような気がしました。

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆