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どちらもカオスな「天気」と「歴史」の違い

2021年7月21日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回に引き続き今回も「サピエンス全史」から、予てより私がずっと抱えていた疑問を氷解させてくれた内容を取り上げたいと思います。

優秀な歴史学者が政治家として、優秀な経営学者が経営者として実績を残すことがないのはなぜかという疑問です。

著者は、「天気」と「歴史」の違いでその回答を導いています。

と言われてもなんのこっちゃと思われると思いますので説明したいと思います。

この二つに共通するのは、どちらも「カオス」だということです。

カオスとは「混沌」すなわち、その結果をもたらすための変数が多すぎるものを指します。

本書では、この二つはどちらも「カオス」であるという共通点はあるが相違点もあり、それによってカオスは二つの種類に分けられるという説明があり、その内容が非常に印象深かったので以下にその部分を引用したいと思います。

「歴史は決定論では説明できないし、混沌(カオス)としているから予想できない。あまりに多くの力が働いており、その相互作用はあまりに複雑なので、それらの力の強さや相互作用の仕方がほんのわずかに変化しても結果に大きな違いが出る。そればかりか、歴史はいわゆる『二次』のカオス系だ。カオスには二種類ある。一次のカオスはそれについての予想に反応しない。例えば天気は一次のカオス系だ。天気は無数の要因に左右されはするものの、私たちはそのうちの次第に多くを考慮に入れるコンピューターモデルを構築し、ますます正確な予報を行える。二次のカオス系は、それについての予想に反応するので、正確に予想することは決してできない。例えば、市場は二次のカオス系だ。翌日の石油価格を100%の制度で予想するプログラムを開発したらどうなるだろう。価格はたちまち予想に反応するので、その結果、予想は外れる。政治も同じ理由で二次のカオス系だ。」

その意味でいえば「歴史」はまさに二次のカオス系ということになるのですが、上記の説明以上に特筆すべきは「歴史」に関する著者の以下の主張です。

「歴史が二次のカオス系であるにも関わらず、私たちが歴史を研究するのは未来を知るためではなく、視野を広げ現在の私たちの現状は自然なものでも必然なものでもなく、したがって私たちの前には想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。」

だからこそ、本当に求められる政治リーダーは優秀な歴史学者や政治もしくは経済の学者ではないこと、また現に実績をのこす経営者は優秀な経営学者ではないことがが多いのかもしれません。

だからこそ、政治家や経営者は、その道のスペシャリストではなく、「私はこうする」という強い信念を持った何者かがその任にあたらなければならないということになるのかもしれません。

 

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