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日本の農耕開始が遅れた理由

2021年8月22日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

今回より、前回ご紹介した人類の至宝と呼ばれる「銃・病原菌・鉄」からいくつかテーマをいただいて書いていこうと思いますが、第一回目のテーマは「日本の農耕開始が遅れた理由」です。

私は日本人として中国の歴史を学んだ時からずっと、なんとも情けない感情を禁じ得ませんでした。

それは、中国が紀元前6000年にはすでに農耕を始めていたのに対して、日本は紀元前1000年に朝鮮半島を経由してようやく農耕を開始した、そしてそれが伝わる700年も前に中国では「殷」という王朝が成立しており、甲骨文字や青銅の武器などを駆使して大規模な国家運営がすでに行われていたという事実に対するものです。

しかしながら、本書を読むことでそれは私が感じていたほど「情けない」ことではなかったことが分かりました。

その部分について以下に引用いたします。

「人類が1万1000年前に食料生産を始めた目的は、野生の動植物を充分に狩猟採集できない場合に備えて食糧を貯蔵しておくためだったと言われている。人間の行動は何をごちそうと考えるか、すなわち文化慣習上の好みによっても左右される。その結果、人類の歴史を通じて、農耕民は狩猟採集民のことを原始的だと軽蔑していた。一方で狩猟採集民は農耕民を無知だと言って軽蔑していた。そして牧畜民は農耕民と狩猟採集民の両者をばかにすることが多かった。人はこのようなこともすべて考慮した上で、どのように行動するかを決め、食料を手に入れようとするのである。」

このように、以前にご紹介した「サピエンス全史」でもそうでしたが、本書でも人類の歴史は、狩猟採集→農耕化→工業化というように段階を追って「発展」していったことを明らかにしつつも、それは必ずしも人類の「幸福」の度合いと比例するものではないと言っています。

例えば、次のような指摘があります。

「狩猟採集民は近隣の農耕民が食糧を収穫するのを見た上で自分たちもそれに習うかどうかを意識的に決定することができた。その結果、狩猟採集民のままでいることを選択した人たちもいる。例えば日本では、集約的食糧生産をアジア大陸からゆっくりと時間をかけて少しずつ取り入れているが、それはおそらく海産物や土着の植物が豊富であったため、狩猟採集生活の生産性が非常に高かったからであろう。」

つまり日本では、狩猟採集生活の生産性が高かったがゆえに、農耕生産の生産性が日本の狩猟採集の生産性を超えて狩猟採集から農耕へとスイッチする程度までに農耕生産の技術が高まるのに5000年程度かかったのだと考えるべきということです。

つまり、日本の農耕の開始が遅れたという事実は、「情けない」状況によるのではなく、豊富な天然資源に囲まれていたがゆえに、隣国が農業生産性を高める苦労をしている間、「自己選択」で狩猟採集生活を謳歌していた結果であるということのようです。

本書を読むことで、少しだけ日本人としての誇りが回復した気がします。

 

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