代表ブログ

知ろうとすること。

2020年12月2日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

このコロナ禍で、混乱する世の中に流されず、ただ事実を分析し、それに基づいて行動するにはどうしたらよいか、そのことを考えない日はありません。

そんな中で見つけた一冊の本をご紹介したいと思います。

あの伝説のコピーライターで「ほぼ日」社長の糸井重里さんと福島原発事故の中で世の中に流されず事実のみを発信し続けた東大名誉教授で物理学者 の早野龍五先生との対談をまとめた「知ろうとすること。」です。

本書を読んでまず冒頭から糸井さんの次の言葉にドキッとさせられました。

「私も含め多くの人の中にありがちな『書店で(上から)二冊目の本を買う』という行動こそが、知らず知らずに風評被害みたいなことにつながっているのかもしれない。だってそれって福島産とそうでない野菜があった時に、『科学的には大丈夫なんだろうけど、こっちを買っておこう』という行動とすごく似ていると思うから。」

糸井さんはこの気持ちを持ちがちなご自分の性質をしっかり自覚した上で大切な判断の時には「汚れていないなら一番上の本を買う」という行動をとるために必要なことは何かについて、福島原発の時に実際どのような動きを早野教授がされたのかを振り返る形で明らかにしていきました。

その内容を以下に、本書より引用します。

まずは、危機の最中で状況がつかめ切れていない段階では、

糸井:「でかいこえ出している人は何か落ち着いて説明できない不利なことがあるのではないかと思う。だから、どんなにいい人でも叫びながら言っていることは注意深く聞かなくちゃいけない。だから、冷静に事実だけをツイートしていた早野さんは、ああ、この人は信頼できる人だと思ったんです。」

知識を発信する側は感情をできる限り排除しながら、その時点で得られる範囲で事実ベースの情報を淡々と発信することが重要で、情報を受け取る側はそのような姿勢で発信されている信頼性の高い情報を見つけ出す努力をすることだと。

そして、ある程度状況がつかめてきた段階では、

早野:「そこに暮らしている人たちが今までの生活を続けたいという欲求とそれから今事故が起きてしまって危機がそこにあるということとの間でどうやって折り合いをつけるかということが重要なんじゃないかということです。」

科学的な知識を独り歩きさせないためには、専門家の側の姿勢として、知識を受け取る側は専門家ではないという前提の下で、自分自身の専門情報と現実との間で「折り合いをつける」という視点が重要なのではないかということです。

なぜならば、科学的に突き詰めると、その数値がほとんど問題のない有意性がないレベルであっても、「有り」は「有り」と世間には感じられてしまい、ゼロになるまで徹底的に対策が必要になるのではないかということになってしまうからです。

それは、「科学的」ではあっても「合理的」ではないということでしょう。

そして、これは情報を受け取る側にもこの視点は重要で、判断というものはどこまでも「科学的」に突き詰めてするものではなく、「合理的」なところで折り合いをつけてするべきものであると。

先の例で言えば、2冊目の本をわざわざ1冊目の本をどけてまでとることではないことを合理的に判断できる知識を得る努力をするべきということです。

最後に、知識を発信する側と情報を受け取る側の両方に共通して、重要な心構えとして、

糸井:「福島で心配している人はもちろん、同時に当事者でない人たちにもちゃんと伝えたいと思うんですが、離れた所に住んでいる人たちも福島の人々と同じ真剣さで聞いてほしいということです。福島のことを心配しているようで、やっぱりどこか無責任になっているような気がするんですね。今も、事故直後の『福島は放射線で汚染されちゃって大変』っていったままの知識でいたりする。そういう姿勢こそが、将来、変な差別につながっちゃったりするんじゃないかっていう心配があるんです。」

ただ、図らずもこのコロナ禍で、この最後の心構えが本当に難しいことだということを私たちは知ってしまいました。

というのも、コロナは特定の場所ではなく、日本全体、世界全体で問題となっており、人類全体が「当事者」であり、おそらくほとんどの人が「真剣さ」をもって情報に接したはずです。

それでも、いやむしろだからこそかもしれませんが、「誤解」や「差別」はいたるところで存在しています。

しかし、私たちは自分たち自身がそのような性質を持っているということ自体も新しい「知識」として今後に生かして、先の二つの段階での適切な「知るということ」につなげていくべきでしょう。