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日本の低生産性は経営の責任

2018年5月2日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前々回、前回と続けてデービッド・アトキンソン氏の「新生産性立国論」をご紹介しましたが、今回で最終回としたいと思います。

本書は何度もお伝えをしておりますが、非常に衝撃的で印象的、一年に一冊出会えるかどうかの良書だと思います。

一般的に外国人が書いた本というのは、日本人とは異なる視点からのものが多いので、非常に貴重な視点を発見することができますが、いかんせんそれは翻訳されたものなので、いかにも読みにくいものです。

その欠点についてはこのブログでも以前記事として取り上げています。

ですが、本書は著者自らが日本語で書かれたものなので、翻訳本と違って流れるように読むことができます。そのため、日本人にはない貴重な視点と、翻訳によって邪魔されない読みやすさの一挙両得ができるという意味で素晴らしい良書です。

前回では、日本の生産性が低い理由として「誰のために何のために」という視点が欠けている点をあげました。往々にして日本人は効率性は高められるが、誰も必要としていないものを生産する効率性を高めてしまいがちなため、生産性は低くなってしまうというものです。

今回は、日本の労働者が海外の労働者と比較して優秀且つ真面目なため、取り立てて経営者が何もしなくても効率性の高い仕事をしてしまい、そのことに経営者が甘えてしまうことにもその帰責性があるという以下のような指摘をご紹介します。

「付加価値を高めるためには製品サービスを高価格に設定する必要がありますが、日本の労働者はその能力からしてとんでもなく安い給料でも働いてしまうので、日本の経営陣は安易に価格を下げるという無責任な経営戦略を実行できてしまいます。日本では当たり前すぎて話題にもならないサービス残業など、欧米ではありえないことです。」

日本人の労働者がその働きに見合った給料の要求を厳しく経営側に突き付けていれば、それを支払ったうえでも自社の利益を確保するために、より付加価値の高い製品・サービスを生み出すべく頭をひねる必要が出てくるはずなのに、それがなされていないということです。

欧米の経営者は株主からも労働者からも付加価値創出圧力を受けているのに対して、日本の経営者はどのどちらからのプレッシャーも低いことが指摘されています。

また、企業経営だけでなく国家経営についても以下のような厳しい指摘がされています。

「アベノミクスの三本の矢の一つは量的緩和ですが、ほとんど効果が出ていません。そもそも、量的緩和は人口が増加して潜在的需要が存在している状況下で、お金の流れを改善することで初めて効果が得られるものです。要は、人口が増えている国で実行してこそ効果が得られるものであって、人口が減っている日本で実行してしまったら、人口動向の違いとその意味を理解していないと言われても仕方がないでしょう。」

つまり、お金の使い道がない満足しきった人に、いくら金利を安くするから借りてお金を使ってくれと言っても、「借りても返さなければならないならいらない」と言われるのは当たり前だということです。

そしてだぶついたお金は、とりあえず形になっている不動産に向かうしかなく、でもその不動産を使う人口は少ないわけですから、投機にならざるを得ず、お金が全体に回ることはありません。

そして、それらはバブル化し、最終的には崩壊に向かうしかなくなってしまいます。

このように、日本の企業の経営者も国家の経営者も、本当にやらなければならないことからいつまでも逃げているというのが著者の指摘です。

彼らが本当にやらなければならないのは「付加価値」の創造です。

そのことを、著者は厳しくも明快に指し示してくれています。

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