
日本人のための英語 #88
2014年11月30日 CATEGORY - おすすめ書籍紹介
【書籍名】 日本人のための英語
【著者】 斎藤兆史
【出版社】 講談社
【価格】 ¥1,400 + 税
【購入】 こちら
2001年に書かれたこの本には、次のように書かれています。
「日本における英語のあり方に関する議論の混乱は、日本英語受容史上最悪かもしれない。」
そして、2014年現在、その最悪という評価は下げ止まるどころか、コンスタントに更新を継続していると私としては考えますし、最近の著者の著作を読んでも著者もそう評価していると思います。
英語の100年史について著者の書かれた「日本人と英語 もうひとつの英語百年史」を先日紹介しました。100年の歴史を見渡しても、日本においてはどの時代でも確信的に「これでいい」と言えるような英語教育を行われたことはないことを確認できますが、現在進行形でその混乱に拍車がかかっているということになります。
その原因を著者は本書の中で次のように指摘されています。
「明治時代にあっては、英語学習の目標も、優れた英米の学問を学ぶという一点に絞り込むことができた。英語学習者も一握りのエリートに限られていたから学習法や学習内容において大きな差はなかった。」
とあり、続けて次のような例を挙げて、現代の英語教育を皮肉っています。
「例えているならクラッシックバレエも社交ダンスもフォークダンスも日本舞踊も、すべて『踊り』という名のもとに一緒くたにしてしまうようなものだ。確かに、昔『踊り』を習うと言えば、日本古来の伝統舞踊を習うことであったかも知れない。今の英語学習者がよく口にする不満をこの比喩を用いて分かりやすく表現するとすれば、日本舞踊の師匠について『踊り』を何年も勉強したのに、いっこうにバレエがうまく踊れないと文句を言っているのに等しい。」
つまり、このことは、日本においては「英語学習」という活動の定義の設定が行われていないということではないでしょうか。
そもそも、定義が確定していないのですから、「英語学習」の到達目標、その目標達成のための方法論など、すべてが混乱をきたすということは当たり前です。
この点について、少なくとも私たちランゲッジ・ヴィレッジでは明確にしていると自信をもって言えますが、その精度を常に意識して高める努力をしなければならないということを再確認させられました。
文責:代表 秋山昌広