英文法を考える #60
2014年6月27日 CATEGORY - おすすめ書籍紹介
【書籍名】 英文法を考える
【著者】 池上嘉彦
【出版社】 筑摩書房
【価格】 ¥1000 + 税
【購入】 こちら
「大学の入試に「辞書を引く」という和文英訳問題が出された場合、「draw a dictionary」という回答が次々に出てくる。それも十枚に一枚という程度のものではなかった。時には半数に近いのではないかと思えるくらいの割合であったような印象が残っている。」
本書で著者はこう切り出しています。これほどまでに、多くの日本人は母語と学習対象語との間に完全な一対一の対応関係があると思い込んでいる(もしくは、思い込んではいないが、その枠の中だけで解決しようとする)といいます。
もし、母語と学習対象語との間に完全な対応関係があれば(発音は別にして)外国語の勉強は<文法(語彙を含める)>のみで良いことになります。しかし、実際は冒頭の「辞書を引く」の例の様にそうはいきません。
言語にはそれぞれに<文体的価値>や<使用域>という独自性があるからです。日本語の「引く」は英語の「draw」とその使用域がことなるということです。
コンピューターによる作文がまさに<文法>というルールに完全依拠した翻訳活動であり、当然にしてぎこちなくまた、ほとんど役に立たない文章を作り出します。
著者はこのことを<文法>と<コミュニケーション>の間の「欠けたリンク」と呼びます。そして、本書の大部分を割いてその限界を論じています。
しかし、私はその論に対して大変論理的で分析力にとんだ内容だと評価したのですが、なんとなく感覚的に納得できない感じがぬぐえませんでした。それは、やはり<文法>というものは画一的かもしれないが、ルールの理解とそのルールへの準拠は何よりも最優先に学習者にインストールされるべきものだと思えるからです。
本書が出版されたのが1991年ですから、それから20年以上が経過しています。そして、現在の「英語」は当時から比べると圧倒的に「国際共通語化」が進んでいます。他の書籍の紹介でも何度もでていますが、もはや英語はイギリス人のものでも、アメリカ人のものでもなく、世界中の英語を使う人々の共通財産となっています。
このことから、特定の国の文化に影響を受ける<文体的価値>や<使用域>という独自性などとは、一線を画すある意味「機械的」な言語となりつつあるのではないでしょうか。
そして、このことが文法というルールをインストールすることの重要性をより高める方向に働いていると思います。
また、コンピューターの世界も圧倒的に進化しています。自らの失敗をデーターベースにフィードバックし、次には同じ間違いをしないようになります。そして、それを継続蓄積します。まさに学習するのです。その学習効率は人間のそれよりも優れているかもしれません。完全自動翻訳ソフトが完成するのもそう遠くないと予想する専門家もいるくらいです。
以上のことから、私としては「文法の限界」はそれはそれで受け入れつつ、その限界を有するルールを完全に使えるようにして、「ぎこちない」英語のやり取りを押し通すべきだと思います。そして、その中でできるだけ多く失敗し、それをフィードバックし、より精度の高いものに磨いていけばよいと思います。
ですから、英語を「使う経験」そして、それを実現する「使う環境」が重要になると思うのです。
文責:代表 秋山昌広