
英語ヒエラルキー #348
2025年4月27日 CATEGORY - おすすめ書籍紹介
【著者】 佐々木テレサ・福島青史
【出版社】 光文社新書
【価格】 ¥900 +税
【購入】 こちら
本書のサブタイトルは「グローバル人材教育を受けた学生はなぜ不安なのか」です。
実は、この仕事をしていると、日本人でありながら小さいころから英語教育を施され、英語を自在に使えるけど日本語が少しおかしい子供に出会うことが結構あります。
それでも英語ネイティブとして英語で深い思考ができれば問題はないとは思うのですが、所詮日本国内で生活をしているわけですから英語の理解に関してもそれほどではなく、英語でも日本語でも深い思考が難しい、いわゆる「セミリンガル」の状態に仕上がってしまっているお子さんに関しては非常に大きな問題で、彼らはある意味被害者だと思っています。
本書のサブタイトルを見たとき、本書は一瞬その問題について書かれたものかなと思ったのですが、実はそうではなく、日本政府が2012年に開始した「グローバル人材育成戦略」の一環で設置されることとなったEMI(English Medium Instruction)、すなわち日本国内でありながら基本的にすべての授業を英語で行う大学や大学の一部の学部の出身者が就労時に「日本語の不安」を抱えている事実に対して、その原因を明らかにするというのが本書の目的です。
読み始める前の私の率直な感想は、高校まで日本語で教育を受けてきた人(純ジャパ)が大学から「英語オンリー」の環境で学ぶだけでそのような不安など生じるまでになろうはずもないだろうし、もしなったとしたらそれはよほど真面目に取り組んだということで大変結構なことではないか、というものでした。
以下に本書の内容を大まかに理解できるように非常にざっくりと要約してみます。
本書はEMIを実施している早稲田大学国際教養学部および同大学院出身の著者が、大学院在学中に自らを含め純ジャパでありながらEMI教育を受けた人間を対象に彼らが抱える「日本語の不安」についての研究結果をまとめたものです。
まず大前提として、EMIでは基本的にすべての講義が英語で行われるのですが、その環境は帰国子女の学生にとっては全く問題にならず、むしろ自らの強みを最大限に発揮できる非常に居心地の良い環境であるのに対し、純ジャパ学生にとってはその環境が大いなるストレスになるということです。
具体的には、明確な英語力の階層付けと圧力が彼ら純ジャパ学生を襲い、それによって大学(学部)内における「英語ヒエラルキー」が生じ、(おそらく双方ではなく、純ジャパ学生からの一方的な感情ではあるが)羨望と劣等感そして自己不信にさいなまれることになります。
そんな彼らも時間とともにその環境に慣れはしますが、その英語力の差は縮まることはあっても埋まりません。そして、欧米の感覚に染まり切った帰国子女の学生たちが醸し出す学内の雰囲気に少なからず影響されていくことで、今度は逆に「日本の暗黙のルール」に対する耐性(適応)が難しくなって行きます。
また、EMI実施学部における学びという点では、英語教育としてはかなり深いものにはなることは確かですが、何か深い専門性を身に着けることができるかという点では不十分なことが多いとのこと。具体的には、広く浅く英語を使って学ぶため、法学部、商学部などといった専門学部で学ぶような体系的な学びという点では弱くならざるを得ないようです。
その結果、「敬語」がうまく使えない、他者の話す日本語の文意がうまくくみ取れない、プレゼン発表時の語尾がおかしいなどの日本語使用時の言語的不自由さを自覚するようになっていったり、文化的にも欧米のノリに慣れてしまっていることから、日本的な会社文化にいちいち違和感を感じてしまうことで、コミュニケーションがうまく取れないという悩みを抱えてしまうという問題が、彼らの卒業後就職した後顕在化することになると言います。
本書を読み進めてこの研究結果に行き着いたとき、私は正直言ってかなりの違和感を覚えました。
まずは、高校まで日本の教育を受けてきて(しかも留学とは異なり学校外では普通に日本の環境)、大学で英語オンリーの環境にあっただけで、日本語にこれほどまでの違和感ができることは、私自身の留学経験からもちょっと考えづらいものがありました。
そして、著者は「研究」と言っていますが、サンプルがご自身をいれても5名しかないということで、研究というにはあまりにも少なすぎる点も大いに気になりました。
また、そのサンプルの人たちの聞き取りの記録を読んでも、彼らの表現に「なんか」「みたいな感じ」「まじで」などといった言葉があまりに散見されることと、使用する日本語の語彙のレベルがかなり低く感じられ、高校までの間の読書経験もしくは英語以外の教科の学習経験に問題があったのではないかという疑念を持ってしまいました。
正直、私の留学経験からすると、一定期間日本語を使用せずに英語にどっぷり浸かることによって、日本語を客観的に見る機会を得ることで、むしろ日本語の使用時においても論理性が高まる効果を感じはしても、「日本語の不安」を覚えるなどということはなかったからです。
したがって、「研究」の信憑性という意味では本書を評価することはなかなか難しかったのですが、本書にあった以下の言葉は日本人と英語の関係という観点から「何か大切なこと」を伝えてくれているように思えました。
「英語へのコンプレックスもいまだに解消されていない。いつまでもテストは苦手だし、英語をしゃべるようにと言われれば冷や汗をかくし、海外経験のある人を前にすると委縮してしまうし、勝手に劣等感を抱いている。たまに人前で英語を使うと『英語話せるんだね』と言われた後に続く、『そんなことないです』は決して謙遜ではない。自分は全く英語が不得意だと真剣に思っている。このコンプレックスと劣等感は、いつか解消されるのだろうか?私も、インタビューに協力してくれた方々と同じ経験をしているのだとひしひしと感じる。こんな私たちを育成してしまったEMI実施学部側の大人たちはどんなことを思うのか気になるところではある。」
う~ん、英語ができるだけで「いい社会人」になれるはずはありません。(むしろいまだにそんなことを思っている人がいるとしたらよほどの世間知らずでしょう。)
まずは、自分が社会に貢献できる「何か」を一生かけて身に着けていく姿勢が何よりも重要で、その上でその「何か」の活用範囲を世界を広げるために英語があるという当たり前のことを、もし彼らが入学前に知っていたらこのような泣き言は言わずに済んだはずです。