日本人と英語

人種は生物学的概念ではない

2018年12月5日 CATEGORY - 日本人と英語

以前に書籍紹介ブログにてご紹介した「英語教育幻想」からテーマをいただいて書いていますが、第三回目の今回は、「人種」について考えてみたいと思います。

前々回、前回と「ネイティブスピーカー」と「ノンネイティブスピーカー」について、これらは客観的な分類ではなく、社会通念上の認識の問題に過ぎないという話をしました。

実は、この「人種」という概念も実は、それと同様に「社会的認識」の問題に過ぎないのではないかというのが今回のテーマです。

以下に、本書における該当部分を引用します。

「人種と言うと、生物学的な人間の違いが想起されます。しかし、近年のヒトゲノム研究によると、ヒトは遺伝学的には99.9%同質であり、人種の違いは認められないという結論が導き出されています。しかしながら、同時に黒人は人種として短距離走には強いけど、水泳には弱いという印象も私たちにはあります。ただ、これらの印象については以下のような見方ができることも知っておくべきです。短距離走については、多少生物学的に西アフリカの遺伝子が好影響をもたらしているかもしれないが、良い成績を残すのはジャマイカ出身の選手で、同じ西アフリカでもギニアやガーナの選手がそうだという話は聞かないということで反論できます。また、水泳についても、かつてアメリカの黒人は公共の海水浴場やプールの使用を禁止されていたせいで、黒人はカナヅチというレッテルが貼られ、21世紀の今日さえも水泳の道に進む人が少ないからだという見方もできます。従って、人種の違いは歴史的・社会的に構築されたものであると理解できます。(一部加筆修正)」

にもかかわらず、日本の英語教育産業は、この「人種」の幻想に長い間支配され、今現在もその影響かであると言うのが著者の指摘です。

例えば、英会話学校のTVCMの多くに「白人」の講師役の男性役者が出演しています。これは、英語を通した「疑似恋愛」を楽しむということが、一部の日本人女性の英語学習のモチベーションになっているためとの指摘が著者によってされています。

私としては、日本人女性に限定する著者の指摘は少々偏りすぎではないかとは思いますが、白人女性の講師役のバージョンも少なくないことを考えると、日本人女性に限らず、日本人一般に対して必ずしも的外れではないかとも思えます。

これについては、前々回、前回と「ネイティブスピーカー」と「ノンネイティブスピーカー」の問題とも密接に関連しながら、日本人のコンプレックスを象徴しているとも考えられるかもしれません。

幸いにして、ランゲッジ・ヴィレッジでは、そもそもがある程度の期間宿泊をして真剣に英語学習に取り組むというのが前提となっているので、受講者からこの類のモチベーションで受講するということはほとんどありません。

しかしながら、前々回の記事にて指摘したこれまでの日本人の「ネイティブ観」から、英語の母国語圏ではなく、公用語圏から来た、例えばフィリピン国籍の講師などになんとなく、母国語圏からの講師とは異なる感情を持たれる受講者も少しですがいらっしゃることは否定できませんでした。

ところが、最近この傾向にポジティブな変化が起こってきているような気がしています。

それは、フィリピン国籍やジャマイカ国籍の講師に対して、そのような感情を持たれる受講者が少なくなってきているように感じることです。

もちろん、その最大の理由は彼らが、本来の定義に基づくネイティブスピーカーであり、英語の講師として何ら支障がない人材であるという事実ですが、実はもう一つこの変化に大きく貢献しているのではないかと思うことがあります。

それは、レアジョブさんなどが提供する「スカイプ英会話」が一般的になってきたことです。

これらのサービスが、日本に浸透することで、彼らのプレゼンスを正当に判断できる日本人が増えてきたということだと思います。

このことは、英語とまっとうな付き合い方ができるような日本人が増えてきたということであり、本書で著者が指摘している「幻想」が消滅しつつあることだとうれしく思っています。

 

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