日本人と英語

国際共通語としての英語で発信するということ

2014年5月18日 CATEGORY - 日本人と英語

以前の記事では国際共通語としての英語について考えました。

そこで、今回は実際に国際共通語としての英語を使うということはどういうことかということを具体的に見ていきたいと思います。

まず、このビデオをご覧ください。

桂かい枝

落語家。大学卒業後の1994年6に5代目桂文枝に入門。1997年、たまたま知り合った外国人に落語の面白さを上手く伝えらず、悔しい思いをしたことがきっかけで「落語で外国人が笑うのか試してみたい」と、英語落語を始めることを決意。1998年にアメリカにて英語落語を初公演を行い、以来、シンガポール・カナダ・マレーシア・イギリス・オーストラリア・インド・ジャマイカ・ブルネイダルサラーム・フィリピンなど15カ国90都市以上で公演を行う。

どうでしょうか。

この桂かい枝さんが英語を使っている様子を見ると、日本人が英語を使うときにアメリカ人に「アメリカではそのようには言わない」と指摘されたとしても、「日本語ではこのように言うので、これをリンガ・フランカである英語に載せるとこのようになるのだ」と自信をもって反論することの意味合いを具体的に理解できるのではないでしょうか。

なぜなら、落語は日本にしかない芸能で文化だからです。

この日本独自の芸能を外国人に伝えようとすると、そのエッセンスを国際共通語としての英語に載せて伝えるしか方法がないわけです。日本の文化ですから日本語と密接にくっついていて、多分に切っても切り離せない部分が出てくるでしょうが、それでも何とか海外の人たちにそのエッセンスを伝えたいとなるとこのようになるのです。

この時に観客である外国人は「英語圏である私の国ではそのようには言わない」などとは決して言うはずはありません。仮に言ったとしても意味はありません。

まさに、このことが国際共通語としての英語の本質でしょう。

言語学者のカチュルは英米以外の地域で使われるようになって生まれてきた新しい英語のことを「World Englishes」 と呼びました。まさにこれが「国際共通語としての英語」なのですが、この「World Englishes」を同心円モデルを使って説明しています。

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同心円の中心には英米など英語を母語とする人たちが話す英語があります。そして、その外側に英語を第二言語として使う人たちの英語があります。例えば、インドやフィリピンです。そしてそのさらに外側に外国語として使う人たちの英語です。私たち日本をはじめとする多くの国々です。

つまり英語は同心円の中心にいる人たちだけのものではなく、世界の共有財産です。

母国語話者は3~4億人なのに対して、それ以外の使用者の数は十数億人以上に達するわけで、英語を話す人の数からいえば、むしろ圧倒的に国際共通語としての英語を使う人のほうが多数派なのです。

しかもこの後者の割合はこれからずっと大きくなり続ける一方です。

ですから、この桂かい枝さんの発信する英語落語のように、様々な国の人々が自分の国にしかない文化を国際共通語としての英語に載せて発信することは、今後ますます増えていくでしょう。

したがって、「アメリカではそうは言わない」という発言の価値は小さくなる一方です。

その代わりに価値を高めるのが、英語の「分かりやすさ」です。

アメリカ人、イギリス人的に「正しい」英語を学ばなければならないというようにネイティブ英語を崇拝するのではなく、様々な国の人間同士が意思の疎通を図るにあたって必要となる「分かりやすい」英語を学ぶことの重要性をしっかりと認識してほしいと思います。

日本の英語教育が「国際共通語としての英語」の習得を英語学習の目的として明確に掲げることによって、ネイティブのような英語を話す人にあこがれるのではなく、「国際共通語としての英語」で発信する桂かい枝さんにあこがれるような日本人の英語学習者を増やしていくことができるのではないかと期待したいところです。

そうなれば、間違いなく英語を使える日本人は安定的に増えていくと確信しています。

 

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