日本人と英語

それでも文法が大切な理由

2017年7月5日 CATEGORY - 日本人と英語

前々回と前回に引き続き、「「グローバル人材育成」の英語教育を問う」に関連して、今回は「文法教育」について考えてみたいと思います。

昨今のグローバル化が、英語教育現場に「文法軽視」をもたらしているというのは、このブログでも何度もお伝えしてきましたが、本書でもこの問題について次のような指摘がありました。

「『コミュニケーション』という得体のしれない怪物の横行によって、堅固な英語運用能力の育成という従来、大学英語教育が果たしてきた役割は『実用英語』『英会話』『日常会話』『生きた英語』『役に立つ英語』『文法抜きの英語学習』といった飾り文句付きの代物によってかなりの程度、凌駕されつつあるということになる。」

しかし、「コミュニケーション」が重視された結果、日本人に『役に立つ英語』がもたらされたかと言われれば、様々な評価指標によっても、答えはNOであることが明らかにされています。

そのような指標だけでなく、ランゲッジ・ヴィレッジという現場においても、学習者の平均的状況が年を追うごとに悪くなっているというのが偽らざる実感です。

なぜこのような結果になってしまっているのか、そのことについても先ほどの指摘に続いて次のような説明がなされています。

「しかし、先達がはるか以前から説いてきたように、英文法知識の基盤無しに英語の運用能力を育成することは砂上の楼閣を築くことと寸分違うことなく、英語文学をはじめとする英語文化に慣れ親しむこともなく育成可能な英語運用能力はいかにも浅薄な感を免れ得ない。(中略)TOEICやTOEFLによって計測される英語力に意味がないと主張しているのではない。単にそれらのテストのスコア向上だけを目指すという短絡的な目標を設定するだけではスコア向上のための方略的学習に終わってしまう危険性が高い。」

『実用英語』『英会話』『日常会話』『生きた英語』『役に立つ英語』『文法抜きの英語学習』を学校教育の現場に押し付けたのは、紛れもなく産業界です。

従来は、『実用英語』への対応は必要が生じた都度、産業界のコストによって、行われてきました。

しかし、ここへ来て急速に進みだしたグローバル化への対応のためには、即戦力として『実用英語』ができる人材を学校教育において速成してもらいたいという強い要請が生じ、その結果、その圧力は教育行政を動かしました。

しかし、そのようににわかに生じた要請は、しっかりとした言語に対する吟味も精査もなく、ただ短絡的な『実用英語』という発想と、その評価基準としてのTOEICやTOEFLのスコアへの妄信に繋がりました。

しかし、そもそも、言語学習には取るべき順序・段階があります。

『実用英語』『英会話』『日常会話』『生きた英語』『役に立つ英語』は、英文法という土台の上にしか成り立たないというのは、学校教育の現場では誰もが分かっているはずのことでした。

しかし、従来から学校教育の現場は、英文法という土台作りに終始して、その上に、『実用英語』『英会話』『日常会話』『生きた英語』『役に立つ英語』を載せるというトレーニングの機会を作る努力をずっと放棄してきました。

その結果として、学校教育では『実用英語』『英会話』『日常会話』『生きた英語』『役に立つ英語』を実現できなかったため、『文法抜きの英語学習』という産業界の明らかに間違った要請に対して、きちっとした形で反論できなかったのです。

このように見てみると、日本の英語教育の歴史は非常に不幸な道をたどらざるを得なかったと言えます。

そして、その歴史は現在進行形で進んでいます。

「グローバル化」の立場をとろうが、「国際化」の立場をとろうが、いずれにしても『生きた英語』『役に立つ英語』の必要性は、歴史上最も現実化していることに間違いはありません。

であるならば、言語学習の取るべき順序・段階を忠実に踏襲し、急がば回れの政策を実行すべきなのです。

このことに、当事者である全ての英語学習者に気が付いていただきたい。

だからこそ、その穴を埋めるべく「中学三年分の英文法を2泊3日で血肉にする合宿講座」を設けて、必死にこの問題に対処しようとしています。

心の底からそう思いながら、ランゲッジ・ヴィレッジは活動を続けています。

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