日本人と英語

文部科学省の本音

2018年3月21日 CATEGORY - 日本人と英語

以前に書籍紹介ブログにてご紹介した「英語教育の危機」よりテーマをいただき考えてみたいと思います。

今回のテーマは「文部科学省の本音」です。

著者の鳥飼先生は、「最後の力を振り絞って本書を執筆した」とおっしゃるだけあって、本書においてかなり具体的な記述をされています。

私も含め、多くの英語関係者が、現状の学校英語教育は本質からずれ、間違った方向に進んでいると考えているわけですが、では文科省の官僚はそのことを分かっていないのかという疑問が私の中でずっとありました。

彼らは学校教育における成功者であり、学習を効果的効率的に進めることにかけては誰よりもよく分かっているはずです。

その人たちがなぜ、ここまで明らかに間違った政策を進めているのか、このことがどうしても解せない。これは、私だけでなく多くの反対派の人たちの共通の疑問だと思います。

その点について本書には以下のような興味深い事実が書かれています。

「英語教育の目的に『コミュニケーション』が初めて掲げられたのは1989年告示の学習指導要領で、そもそも政府の公式文書に英語がカタカナ表記で登場したのも異例で文部省内でも相当な議論になったようである。新設された『オーラルコミュニケーション』という科目は注目を集め、各地の高校でディベートやディスカッションが盛んになった。しかし、当時の文部省の担当者であった和田稔氏は、コミュニケーション能力の四要素(文法能力・談話能力・社会言語能力・方略能力)を念頭に教育課程に生かしたものの、『オーラルコミュニケーション』はあくまで選択科目であるので、これを中心にするのは趣旨が違い、ディベートやディスカッションばかりが注目されるのは不本意だと述べている。つまり、『コミュニケーション』の意味が学習指導要領作成担当者の考えから離れ、『聞く・話す』を指すことだと学校現場で誤解されて全国に広まったことになる。実際に、このときの学習指導要領が嚆矢となり、日本の公教育における英語は『コミュニケーションは会話力』であるとの理解に基づき、聞いて話す力を育成するという方向に大きく舵を切ったのである。」

この担当者の発言は非常に貴重なものだと思います。

政策立案者は少なくとも『コミュニケーション』の意味を本来的な意味合いで使い、「聞く・話す」力は、コミュニケーション能力の四要素(文法能力・談話能力・社会言語能力・方略能力)が噛み合ってはじめて成立するものであり、それだけを切り出して教育することなどあり得ないと思っていたことが分かります。

このことで、私の長年にわたる疑問が解決されました。

しかしながら、なぜそれが現場に間違った形で伝わり、その間違いを正す努力をしなかったのかという新しい疑問が湧きあがったのも事実です。

これには、この学習指導要領に記された「コミュニケーション」という言葉を意図的に曲解し、「錦の御旗」として利用することで特定の方向に誘導する「力」があったことが強く疑われます。

そのあたりのことは本書ではなく、#176の「史上最悪の英語政策」に詳しいです。

ここへ来て、二冊連続して具体的な名前が挙がる非常に核心に迫る著作が続いたことは、英語教育の将来を憂う身としては頼もしい限りです。

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆