日本人と英語

英語化の先にあるもの

2015年6月7日 CATEGORY - 日本人と英語

英語化

 

 

 

 

 

 

前二回に引き続いて「アメリカを知るための英語、離れるための英語」という本に関して書こうと思います。

本書は、日本は既に先進国の仲間入りをしたのだから、他国の文化技術を真似することで自らを高めてきた姿勢を改め、自らの作り出す文化技術を逆に世界に発信するような姿勢をとらなければならないという趣旨で一貫しています。

そして、タイトルにあるように、特にアメリカとの関係を改める必要性を強調しています。その中に次のような一節がありました。

「今でも、もっとアメリカを学んで日本をアメリカのように改造しなければいけないと思いこんでいる人が少なくない。日本がせっかくまだ失わずに持っている古代的アナログ的な世界のよさを、すべてデジタルな西欧近代的なものと入れ替えようとしている。しかし、もしこれが成功してたとしても、日本はよく言って三流のアメリカになるだけです。」

この一節を見て、私はふと楽天の「英語社内公用語化」問題を思い出しました。私のこの問題に対するスタンスは楽天の姿勢に対して「基本的に賛成」です。そのあたりのことは、過去にいくつか ブログ記事 を書いています。

そのことに関連して先日、ハーバードビジネススクールのケースステディにおいて取り上げられた楽天の英語社内公用語化についての資料を読む機会があったのですが、その中に三木谷社長の言葉として以下のようなものがありました。

「Our goal is not becoming No.1 in Japan but becoming the No.1 internet service company in the world. As we consider the future potential growth of the Japanese market and our company, global implementation is not a nice-to-have but a must-do.(我が社のゴールは日本一ではありません。インターネットサービス会社の中で世界一になることです。日本の市場および我が社の将来の潜在的成長を考えれば、この施策は「したらよい」ではなく「しなければならない」ことなのです。)」

この発言は、二つの要素に分解することができると思います。それは、「日本はこれから縮小している一方なので、国内市場だけでは生き残れないから世界を相手にしなければならない。」ということと、「英語を使ってビジネスをすることで、世界一になる。」という二つの要素です。

私は、先ほど楽天の「英語社内公用語化」をとる姿勢に対して「基本的に賛成」という具合に表現したのは、この策をとることで、おそらく、前者の見方からすると、三木谷社長のおっしゃる通り、この施策は「したらよい」ではなく「しなければならない」ことである一方で、後者の見方からすると、おそらく、英語を自らの言葉として操る国の会社を押しのけて世界一になるというのは難しいのではないかと思うからです。

これは、著者の「もしこれが成功してたとしても、日本はよく言って三流のアメリカになるだけです。」という言葉に近い感覚だと思います。

言語は、思考の基礎としての働きと、道具としての働きがあります。外国語として利用しているうちは、確実に「道具」でしかありえないと考えます。なぜなら、「母語」としての言語の裏側にはその言語が培ってきた歴史的背景や文化が存在しているからです。

資本主義の本質は「差別化」だと言われます。であるならば、日本の企業は、日本語という独特の歴史的背景や文化に培われた言語によって思考された結果、生み出される製品やサービスを、英語という「道具」に乗せて世界にとどけるという姿勢が必要となります。

ですから、楽天が「英語社内公用語化」によって、無理やりに思考の基礎までも外国語である英語としてしまうということになると、日本人の強みを製品、サービスに反映させることが難しくなることが容易に想像できます。

本書の指摘は、楽天のこの戦略の矛盾に鋭い疑問を投げかけていると思わずにいられませんでした。

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