日本人と英語

日本語にはなぜ代名詞が多いのか

2016年8月14日 CATEGORY - 日本人と英語

代名詞

前回までは、「日本人の論理構造」という本を取り上げ、日本語と英語の論理の違いからくる、日本人の英語の学習にあたっての困難性について考えてきました。

そこで、日本語と英語の論理の違いというテーマでは、もっとも大きなものの一つであろうと思われる「代名詞」の数について最終回の今回は考えてみたいと思います。

日本語と英語の違いに関して、「僕」「私」「俺」「拙者」「自分」「うち」、、、は「I」、 「あなた」「君」「お前」「そち」、、、は「YOU」という具合に圧倒的に代名詞の数が異なるという事実は格好の議論のテーマになります。

しかし、なぜこの違いが生じているのかという理由についてまでは、明確に説明をしている資料を今まで目にしたことはありませんでしたが、本書にはかなり説得的な解説がありましたので引用したいと思います。

「日本語の代名詞が多くて用法が難しいことはしばしば議論されることである。ところが、面白いことによく見ると、それらは一人称と二人称に関してのみで、三人称の代名詞は昔からほとんど発達していない。現在でも彼・彼女という典型的なものでさえ、実際にはあまり使用されず、まだ純粋な日本語としての感覚を持っていない。結局、三人称の代名詞は複雑な一人称・二人称に比べ、使用率は非常に低い。これは、face to face の関係、触知的な距離の間にしか代名詞が発達せず、しかもその人間関係では、えらく用語が複雑であるということは、自己と相手(一人称と二人称)の距離はその場、その時によって変化するものとして意識されるためであって、やはり皮膚感覚の領域内と外の区別が激しいからなのであろう。」

また続けて、

「皮膚感覚というものは、自己中心的なものであるから、それを基調とした人間関係は自己を中心とした同心円が心の中に描かれ、外側の縁になればなるほど、血のつながりや人間的な温かみが失われていく。そして、最後の円周の外側は赤の他人の世界とみなされる。外国からせっせと手紙を書き送ったり、顔をつなぐために贈り物をしたりするのは、赤の他人並みに扱われないようにとする努力で、円周の内側に、しかも相手により近いところにいたいという心理の表れであろう。」

日本語と英語との比較で、一人称と二人称についてはあれだけ日本語における複雑性が目立つのに、三人称の代名詞はむしろ日本語の方がその使用頻度が少ないという見方はかなり新鮮な発見でした。

そして、日本人の人間関係の「うち」と「そと」を明確にする気質によるというその理由についても、なるほどと思わされるものでした。

日本人は公共交通機関において、団体行動の時はあれだけおしゃべりが過ぎるのに、一人の時には何時間も隣にいるのに他人とは一言も会話を交わさないという性質はまさにこのことだと思います。

今私が書いた、「一人の時には何時間も隣にいるのに他人とは」という表現、これもまさに隣に人がいると書いているのに、「一人」という表現を自然に使ってしまうという意味で、私の中の同心円の「うち」と「そと」がきっちり現れているのかもしれません。(笑)

この指摘を受けて私は、日本人の「海外留学しても、いつも日本人同士で固まってしまって、現地のコミュニティに溶け込まないから、何年留学しても英語が上達せずに帰国する人が少なくない」という残念な評判と、日本語における「一人称と二人称の複雑性と三人称への無関心」という言語の性質に相関関係があるという面白い結論を導き出したのでした。

 

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