日本人と英語

日本語のローマ字採用の是非

2014年3月9日 CATEGORY - 日本人と英語

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「日本人と英語」というテーマで「日本人と漢字」というのもおかしいですが、日本人と言語の関係を論じることで英語との関わりについての考えが深まると思いますので、少しだけお付き合いください。

先週の日本経済新聞の「日曜に考える」というコーナーで「国語の民主化指令」についての特集があり、終戦後GHQの主導により日本語から漢字を取り除いてローマ字での表記を採用すべきだという動きがあったという事実を取り上げていました。

言語を仕事とする私としては非常に興味深くその記事に目を通しました。ここで、この事実について予備知識的に簡単に書いてみます。(以下、記事より抜粋)

「書かれた形の日本語は学習上の恐るべき障害である。初等教育の期間を通じて、生徒たちは文字を覚えたり書いたりすることだけに、勉強時間の大部分を割くことを要求される。自然界や人間社会についての基本的な知識などの習得にささげられるべき時間がこうした文字を覚えるための苦闘に空費されるのである。」1946年「アメリカ教育使節団がGHQのマッカーサー元帥に報告書を提出した。使節団はわずか1か月足らずの調査で6.3.3制、男女共学、PTA創設など現在の日本の教育制度の基盤となっている制度を提言した」「その報告書の中で、漢字を速やかに全廃し、表音文字であるローマ字での表記を採用すべきであると断じた。アメリカ人は戦争で目の当たりにした日本人の狂信の根源を漢字にあると考えたのだ。ローマ字化によって日本人も少しは物事を考えるようになるだろうと。」

私自身、この動きがあったことは歴史事実として知っていました。そして、アメリカが日本という国が二度とアメリカに対抗するような力を持つことがないよう、徹底的に「弱体化」するような経済的な仕組みとして「財閥解体」「農地解放」などを行ったことと同様に、「愚民化」するような教育的な仕組みとして世界に冠たる「漢字文化」を破壊させよういう試みだったと理解していました。

そして、何とか日本人はその試みを未遂に終わらせることに成功したと。

もちろん、今でもその考えに基本的には変化はありません。だからこそ私は、英語を小学校に導入することよりも、アメリカが「学習上の障害」と考える難解な漢字を基礎とした日本語をしっかりと身に着けることが重要だと考えています。そして、そのことが日本人独特の創造性や考えの深さを身に着けさせることにつながると考えています。

しかし、この記事を読みながら、少し別のことにも考えが及んだことも事実です。

アメリカ人が日本人を見下して言った「ローマ字化によって日本人も少しは物事を考えるようになるだろう」という言葉に対してです。とんでもない、日本人ほど物事を考えて行動する国民はいない!と多くの日本人は考えていると思います。

しかし、私はアメリカで手厳しくこのことについてクラスメートに指摘されたことを思い出しました。

二次方程式について学ぶ数学の時間です。当然、二次方程式は中学でやった解の公式に当てはめれば一瞬で答えが出るわけです。他のクラスメートはう~んう~ん言いながら頑張っているなかで、私が一瞬で答えを出すものですから、みんなびっくりです。どうしてそんなに早く答えが出せるのか?と聞くものですから、解の公式があってね、、、とそのカラクリを教えてあげました。

すると、「はっ?それって何の意味があるの?」という返事が返ってきました。

自信満々で教えてあげた私はその反応にものすごく大きなショックを受けました。

彼らの言い分はこうです。

「色々試行錯誤して、どうしたらその解に行きつくかを考えるのが数学の面白さであって、解の公式を記憶してそれに当てはめるだけならPCでもできる。むしろ、試行錯誤の末、自ら解の公式にたどり着くことが最終目的なのが数学ではないのか?」ということです。

もちろん、誰もがそんなことできるわけないですが、姿勢としてはそういうことだと思います。

アメリカ人より四則演算ができる人の数が多いのが日本人ですが、ノーベル賞の授賞者の数が圧倒的に多いのはアメリカ人だということの意味が分かったような気がした瞬間でした。

よく考えてみると、解の公式は一例にすぎません。「掛け算九九」という「歌?」を記憶することだって実は同じです。

ですから、二ケタの掛け算を暗記するインド式計算法について私はあまり感心することはなくなりました。

とすると、漢字を覚えるということも実は、自分の感じたことを既存の漢字が形作る概念に無理やり押し込むことだといえなくもないなと思えてきます。

まあ、それを言ってしまえば、すべての言語が多かれ少なかれそのようなことだと言えてしまいますが、表意文字である漢字には表音文字と比較してその傾向は強い気がします。

ただ、これは繰り返しますが、このような考えにふと及んだということで、あくまでも私は漢字を基礎とする日本語をしっかりと身に着けることが重要だと考えています。

この記事の最後にこうありました。

「アルファベットは26文字だから便利で優れていると考えるのは浅はかで、西洋の言語も漢字同様、何千という単語を思えなければならない。言語は単なる道具ではない。一つの種族ーある言語を用いる集団ーの、世界の見方、認識の仕方の体系なのである」

まさにその通りだと思います。

グローバル化に賢く対応しつつ、日本人独特の創造性や考えの深さをもとに、グローバル社会の中で日本人にしか編み出せない「価値」を作り出すことを目指すべきだと思います。

 

 

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