日本人と英語

やさしい単語を使いこなすこと

2019年4月24日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英語に強くなる本」からいくつかテーマをいただいて書いていますが、第四回目のテーマは、「易しい単語」の重要性についてです。

私は、自身の著書「富士山メソッド」の冒頭部分で次のような問題提起をしています。

突然ですが皆さん、次の問題を解いてみてください。

「二つの文章を英訳してください。

① セーターを裏返しに着てしまった。
② 日本政府は北朝鮮に政治的圧力をかけるべきだ。

私の今までの経験からすると、両方正解、両方不正解のグループを排除して、二つのうちどちらか一方だけを正解した人だけのグループを抽出して分析するとほとんどの方が②を正解されていると思われます。実際に、私の運営する合宿制語学学校ランゲッジヴィレッジに入校される生徒さんに対して入校前にこれと同じ問題を出して答えていただいているのですが、その結果は9割以上が②を正解されています。でも少し待ってください。①と②を比べてみると、二つの文で表現する内容の複雑さで言ったら圧倒的に②のほうが複雑なはずです。おそらく、日本語の範疇で考えれば①の文章は、幼稚園児でも理解をするでしょうし、幼稚園児自らが発言しても何等不思議もないでしょう。しかし、②の文章を幼稚園児が口にしたとしたらどうでしょう?おそらく、それだけで天才少年・少女として扱われるのではないかと思われます。そんな二つの文章ですが、これが日本人の英語ということになるとまったく逆の結果になってしまうのですから非常に興味深いことです。」

このことについては、できましたらアマゾンで購入していただきたいとは思いますが、こちらのサイトにおいてある程度分かるようになっていますのでご興味のある方はのぞいてみてください。

本書を執筆しているとき、私はこの気づきについて、私がこの世で初めて気づいて文章化したのだという認識でおりました。

しかも、そのことを世の中に対して明確にする意味で、「① セーターを裏返しに着てしまった。」のような英語を「しなやか英語」、「② 日本政府は北朝鮮に政治的圧力をかけるべきだ。」のような英語を「ごつごつ英語」と名付けました。

そして、日本人の多くを英語を話せるようにするためには、「しなやか英語」と「ごつごつ英語」をバランスよく習得するような仕組みを確立する必要があると主張したのです。

ですが、本書を読むことで、私が独自性をもって展開したこの持論が、1961年時点ですでに著者によって、もっと言えばラフカディオハーン(小泉八雲)によって既に明治期には以下のように非常に明確に指摘されていたことを知ってしまったのです。

「小泉八雲は熊本の五高で英語を教えた経験として、日本の学生は小さい言葉より大きい言葉を好み、短い平易な文章よりも、長い複雑な文章を書く傾向があると指摘しています。そして、これは訳読に比較的難しい書物を用いるためだろうと言っています。彼のこの観察は、はなはだ鋭く、学生に限らず、日本人一般の持つ欠点をズバリとついていると思います。」

「『機械の具合が悪くなった』という意味を英語で言おうとすると、たいてい『具合』にconditionという語を当てて、何とかうまく言おうとする。This machine does not work well.のように動詞workを使って易しく英語らしくいう人は実に少ないのです。特に、be, have,do,come,go,get,,,,といった基本動詞は非常に使用の範囲が広いのです。うまく使えば実にいろいろなことが表現できます。」

「アメリカのある学者の調査によると、1万語を用いて書かれたある作品のうちの90%は、基本的な1千語だそうです。また、別の学者は10万語について調べたら、そのうちの25%はthe,of,and,to,a,in,that,it,is,Iの10語で、50%はそれ以上の基本語70語だったそうです。易しい基本語、特に基本動詞を生きた英語の特徴をつかんだ上で、活用させれば、世界は自分のためにあるような気がしてきます。」

発売時わずか3か月で100万部を突破した昭和を代表するベストセラーとして、60年の時を経てもその価値に衰えがない本書に心から脱帽します。

逆に言えば、自分がこの世で初めて気がついたかのような傲慢なことを考えていた私も、そのような大ベストセラーにおいて指摘されていたような重大なポイントを外していなかったということだと自分を納得させようと思います。(笑)

いずれにしても、日本人は60年も前に指摘されてきたこの問題を全く顧みずに今に至っていることに反省をしなければならないし、私自身、自著を出版してからも7年が経とうとしているのに、この問題の解決に思っている以上に貢献できていないという事実に大いに反省すべきだと思っています。