日本人と英語

日本人が日本語を嫌ってきた歴史

2019年1月16日 CATEGORY - 日本人と英語

今まで四回にわたって書籍紹介ブログにてご紹介した「日本語が亡びるとき」よりテーマをいただいて書いてきましたが、今回が最終回です。

今回のテーマは、「日本語嫌いの日本人の歴史」です。

今までこのブログでは、日本人が日本語を捨てようとしたいくつかのタイミングについて書きました。

一番古いのは、明治初期における森有礼の「日本語廃止」についての検討に関するの記事ですが、これ以降も、小説家志賀直哉によるフランス語国語化論などがありました。

続いては、第二次世界大戦敗北後のアメリカの占領政策としての「漢字廃止」についての検討に関する記事

これ自体については、別に日本人が自ら自国語の構成要素である漢字を嫌ったわけではなく、あくまでもアメリカの占領政策の一環としてそのような案が出されたに過ぎませんが、これに関して本書に非常に面白い指摘がありましたので本論とは関係ありませんが少し書きます。

アメリカが決定したこの漢字廃止政策は、いくら何でも急には実行できないとして、完全に廃止してローマ字表記に移行するまで「当面の間使用される漢字1850字」が定められることになりました。

それが、「当用漢字」です。

幸いにして、1948年日本人の漢字を含めた識字率調査で日本人の識字率が98%という高水準であることが証明され、この政策は実行されることなく、「当用漢字」はそのまま「常用漢字」となりました。

ここで本論に戻りますが、このあくまでもアメリカ人が嫌ったに過ぎない「漢字」を日本人自ら嫌うという動きがでてきました。それは「タイプライター」が欧米で一般化してきたタイミングです。

その存在が日本に知られるようになると、漢字を排除しなければ日本人はあのような文明の利器を使うことができず、世界の流れに乗り遅れてしまうという焦りが、日本人自ら再び漢字を廃止してローマ字表記に切り替えようという動きにつながりました。

その時、この動きに反対した作家の福田恒存の次の言葉は問題の本質を捉えた素晴らしいものだと思いました。

「言葉は文化のための道具ではなく、文化そのものであり、私たちの主体そのものなのです。気を確かに持ってください。タイプライターのための文字か、文字のためのタイプライターか。」

これらのまっとうな日本人の反対意見とともに、テクノロジ―の発展もこの日本語の危機を救いました。

それが、1978年の東芝の森健一博士によって開発された「日本語ワードプロセッサー」、これに関する記事はこちらです。

今では当たり前となったローマ字で入力し、同音異義語を選択する「漢字変換」です。

このようにして、日本語は何度かの危機をその都度乗り越え「漢字かな交じり文」を基本とするという本来あるべき姿を維持することができているわけです。

最後にこの愛すべき日本語のこのグローバル社会における意義についての著者の言葉を引用して終わります。

「この先英語に吸収されてしまう人が増えていくのはどうにも止めることはできない。大きな歴史の流れを変えるのは、フランス語の例を見ても分かるように、国を挙げてもできることではない。だが、日本語を読むたびに、日本語に戻っていきたいという思いに駆られる日本語であり続けること、彼らがついにこらえきれずに現に日本語へと戻っていく日本語であり続けること、そのような日本語であり続ける運命を今ならまだ選び直すことができる。」

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