日本人と英語

書けないものは話せない

2019年3月22日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「プロフェッショナルイングリッシュ」からいくつかテーマをいただき、書いていきたいと思いますが、第一回目のテーマは、「書くこと」と「話すこと」の関係についてです。

世の中には「書く」ことは「話す」ことより高尚なことだと捉えたがる人が多いように私には見えて仕方がありません。

しかし、私はそうではなく、明らかに「話す」ことの方が「書く」ことよりも上位概念だと思っています。

なぜならば、「書けないものは話せない」からです。

この点について本書では以下のような指摘がありましたので今回のテーマとさせていただきました。

「書けない英語は話せない。(中略)『書く』能力が上がるのと連動して『読む』能力も伸び、『話す』能力も高まります。書くことを通じて読む際のポイントが分かり、話すことの整理ができるからです。そして、話す能力が高まれば聞く能力も伸びます。つまり、書くことを軸として、一石が二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなるのです。」

う~ん。正直、これだと分かりにくい感じは否めない気がします。

ですが、私はこの「書けない英語は話せない。」という考え方は間違いなく事実であり、このこと何とかうまく皆さんにお伝えしたいと思います。

ですので、今回は私が自身の主宰する「中学三年分の英文法を血肉にする講座」の中で語っている内容を少しだけお伝えすることで、ご理解いただければと思います。

私は、ランゲッジ・ヴィレッジの①「文法講座」と②「国内留学」の目的を次のように分けて明示しています。

①「文法講座」の目的は、英語の文章を作るシステムである「文法」を完璧に理解し、語彙さえあればどんなことでも文章に起こして相手に伝える(英作文する)ことができるようになること。(ただし、その文章作成にかかる時間については制限はない状態で)

②「国内留学」の目的は、上記の「語彙さえあればどんなことでも文章にして相手に伝える」ことを数秒の内(会話で違和感がない時間内)でできるようになること。

このように、どちらも「どんなことでも伝えることができる」という意味では共通しており、それを行う「時間」の長さが圧倒的に異なり、前者は時間的余裕を持ちながら、後者は瞬時に行うということです。

では、それなのになぜ一般的には「書く」ことは「話す」ことより難しいと思われているのでしょうか。

それは、「話す」ことはそのまま流れてしまうのに対して、「書く」ことのみが証拠に残るからだと思います。

つまり、書けなくても話すことができると思っているかもしれませんが、実際には書けない人は話す時にもかなりいい加減な表現をしているのですがそれが証拠に残らないだけで、論理的なコミュニケーションが行われていないととらえるべきなのだと思います。

ですから、あくまでも「伝える」という行動の本質的な部分は変わりなく、それを時間をかけて行うか、瞬間的に行うかの違いなだけであり、そうであるならば、明らかに瞬間的に行う方が難易度が高いのは当たり前のことでしょう。

この「書くこと」と「話すこと」の関係についての理解を誤ると、適切な英語学習からずれた学習をしてしまうという落とし穴にはまってしまう危険があります。

是非、皆さんには正しい認識をしていただきたいと思います。

 

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