日本人と英語

「英語の耳」「日本語の耳」とは

2019年1月20日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英語とは何か」よりテーマをいただいて書いていこうと思いますが、第一回目の今回のテーマは、「英語の耳と日本語の耳」についてです。

著者にはお子さんがいらっしゃらないようですが、「もしわたしに子供がいたら」という仮定をして、理想の英語教育を施すとしたら、こんなふうに教育したいとのことを以下のように語ってらっしゃいます。

「子供が小学校三年生になるまでは、英語は一切教えないで、その分日本語をよく勉強させます。そして、三年生になったら、いろいろな形でネイティブスピーカーの英語に触れさせる。けれども、触れさせ、聞かせるだけで綴りなども教えないし、詰め込み教育のようなことは一切やりません。自然な形で『英語の耳』をこしらえることを主眼とします。」

この内容は、実はランゲッジ・ヴィレッジでかつて「キッズ英会話」を運営していましたが、その運営方針と全く同じ考え方であることに驚きました。

現在では、私はこの考えよりももう少し後になって英語をはじめて、そこまで「英語の耳」にこだわらなくてもいい、むしろ小学生の間は日本語に徹したほうがいいという考えから、自分の子供には小学生の間は特別な英語教育を施さないという方針をとっています。

しかし、かつてはこのような考えで教育を行っていたわけですし、日本語力と英語耳とのトレードオフのバランスを日本語よりでとっているということであって、著者の言うことにも理解はできます。

このあたりの詳細については、「ランゲッジ・ヴィレッジの歴史」をご参照ください。

今回の本題は、この「幼児英語教育論」ではなく、「英語の耳」についてですが、本書にはこの英語の耳に関する非常に分かりやすい説明がありましたのでその部分を引用しながらご紹介します。

「例えば、路上で男が人を刺して逃げたとします。あなたはたまたま近くにいたので、刺された人に駆け寄りました。すると、その人はまだ息がありましたが、『チャツボニオワレテトッピンシャン』と言って、ガックリとこと切れました。あなたは警察に通報し、刑事さんがあなたに事情をきく。あなたは被害者が最後にこんなことを言ったと証言します。『チャツボニオワレテトッピンシャン』」

このように『チャツボニオワレテトッピンシャン』と言えるのは、いわゆる「日本語の耳」がある人だけだというのがこのエピソードの趣旨です。

もし、あなたが日本語のできない外国人なら、「チャ、、、ええと、、、」となってしまうに決まっているからです。

もちろん、日本人が日本語を聞いても聞き間違えということはありますが、ともかく意味に関わりなく日本語の音が音として聞こえるというのが「日本語の耳」というわけです。

「英語の耳」というのは、この逆のことが外国人である私たちにこれと同じことができるように、英語の音に耳を慣れさせるということです。

私はここまで的確に誰もが分かる「英語の耳」「日本語の耳」の説明を聞いたことがありません。まさにその通り誰もが納得できる説明だと思います。

著者としては、この耳を簡単に身に付けられるように小学校3年生から実行するのが理想だと考えているわけですが、それをしっかり行うことができるリソースが日本においてはほとんどないというのが私の見解です。

ならば、小学生の内は英語という日本語と異なる言語の理屈を理解できるよう日本語の力をつけることに集中させて、それができた後、「チャツボニオワレテトッピンシャン」をやり始めても英語をツールとして活用するのに、まったく遅くはないと考えているのです。

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